・・・うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまっては大・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・中の口の帽子かけに庇のぴかぴか光った帽子が、知らん顔をしてぶら下がっているんだ。なんのこったと思うと、僕はひとりでに面白くなって、襖をがらっと勢よく開けましたが、その音におとうさんやおかあさんが眼をおさましになると大変だと思って、後ろをふり・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・が、鳥旦那は――鷺が若い女になる――そんな魔法は、俺が使ったぞ、というように知らん顔して、遠めがねを、それも白布で巻いたので、熟とどこかの樹を枝を凝視めていて、ものも言わない。 猟夫は最期と覚悟をした。…… そこで、急いで我が屋へ帰・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・「お客様、お前は性悪だよ、この子がそれがためにこの通りの苦労をしている、篠田と云う人と懇意なのじゃないか、それだのにさ、道中荷が重くなると思って、託も聞こうとはせず、知らん顔をして聞いていたろう。」 と鋭い目で熟と見られた時は、天窓・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・義兄は知らん顔で「ちがいますともわらびます。あれ何やったな。勝子。一遍峻さんに聞かしたげなさい」 泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出した。「これ……それから何というつもりやったんや?」「これ、蕨と・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・「会っても知らん顔していれば可いじゃア御座いませんか。」「不愉快です。殊に今度貴女に会った場合、猶不快です。」 翌朝早大友は大東館を立った。大友ばかりでなく神崎や朝田も一緒である。見送り人の中にはお正も春子さんもいた。・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・君がこうやッて村立尋常小学校の校長それも最初はただの教員から初めて十何年という長い間、汲々乎として勤めお互いの朋輩にはもう大尉になッた奴もいれば法学士で判事になった奴もいるのを知らん顔でうらやましいとも思わず平気で自分の職分を守っている。も・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・そしたら彼所を塞ぐことにして今は唯だ何にも言わんで知らん顔を仕てる、お徳も決してお源さんに炭の話など仕ちゃなりませんぞ。現に盗んだところを見たのではなし又高が少しばかしの炭を盗られたからってそれを荒立てて彼人者だちに怨恨れたら猶お損になりま・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ が、彼は、軍隊の要領は心得ていたので、本当の自分の心持は、誰れにも喋らず、偽札に憤慨したという噂は、流れ拡がるにまかせて、知らん顔をしていた。…… 七 鈴をつけた二十台ばかりの馬橇が、院庭に横づけに並んでいた・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・正賓が取返しに来た時、米元章流の巧偸をやらかして、もほんの方を渡して知らん顔をきめようというのであった。ところが先方にも荒神様が付いていない訳ではなくて、チャント隠し印のあることには気が付かなかったのである。こういうイキサツだから何時まで経・・・ 幸田露伴 「骨董」
出典:青空文庫