・・・この猛烈な歓喜や苦痛は、若槻如き通人の知る所じゃない。僕は人生の価値を思うと、百の若槻には唾を吐いても、一の小えんを尊びたいんだ。「君たちはそう思わないか?」 和田は酔眼を輝かせながら、声のない一座を見まわした。が、藤井はいつのまに・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・今の波一つでどこか深い所に流されたのだということを私たちはいい合わさないでも知ることが出来たのです。いい合わさないでも私たちは陸の方を眼がけて泳げるだけ泳がなければならないということがわかったのです。 三人は黙ったままで体を横にして泳ぎ・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・フレンチはこの疑問の背後に何物があるかを知ることが出来ない。 それは実はこうであった。が、あのまだ物を見ている、大きく開けた目の上に被さる刹那に、このまだ生きていて、もうすぐに死のうとしている人の目が、外の人にほとんど知れない感情を表現・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・自然主義と称えらるる自己否定的の傾向は、誰も知るごとく日露戦争以後において初めて徐々に起ってきたものであるにかかわらず、一方はそれよりもずっと以前――十年以前からあったのである。新しき名は新しく起った者に与えらるべきであろうか、はたまたそれ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 伝え聞く、摩耶山とうりてんのうじ夫人堂の御像は、その昔梁の武帝、女人の産に悩む者あるを憐み、仏母摩耶夫人の影像を造りて大功徳を修しけるを、空海上人入唐の時、我が朝に斎き帰りしものとよ。 知ることの浅く、尋ぬること怠るか、はたそれ詣・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・「てめいが何を知る、黙ってろ」 薊も長い間の押し問答の、石に釘打つような不快にさっきからよほど劫が沸いてきてる。もどかしくて堪らず、酔った酒も醒めてしまってる。「どうでも土屋さん、もうえい加減にうんといってください。一体筋道とは・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と手を合せておがみ夜ぎりの中に出てゆくあとで娘が云うには「一寸一寸、今の坊さんはネ、風呂敷包の中に小判を沢山皮の袋に入れたのをもって居らっしゃるのを見つけたんですよ、だから、御つれもないんだから誰も知る人もありませんから殺してあの御金をおと・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ この椿岳国の第一の名産たる画はどんな作である乎、先年の椿岳展覧会は一部の好事家間に計画されたので、平生相知る間を集めて展観したのだから、この展覧会で椿岳の画の全部を知る事は出来なかったが、ほぼその画風を窺う事は出来た。 椿岳の画は・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・者は福なり、何故なればと云えば其人は神を見ることを得べければなりとある、何処でかと云うに、勿論現世ではない、「我等今鏡をもて見る如く昏然なり、然れど彼の時(キリストの国の顕には面を対せて相見ん、我れ今知ること全からず、然れど彼の時には我れ知・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ 私は多くの不良少年の事実に就いては知らないが、自分の家に来た下女、又は知っている人間の例に就いて考えて見れば、母親の所謂しっかりした家の子供は恐れというものを感ずる、悪いという事を知る。しかし、母親が放縦であり、無自覚である家の子供は・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫