・・・ まだ外に書きたい問題もあるが、菊池の芸術に関しては、帝国文学の正月号へ短い評論を書く筈だから、こゝではその方に譲って書かない事にした。序ながら菊池が新思潮の同人の中では最も善い父で且夫たる事をつけ加えて置く。・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・彼らはいずれも、古手拭と煙草道具と背負い繩とを腰にぶら下げていた。短い日が存分西に廻って、彼の周囲には、荒くれた北海道の山の中の匂いだけがただよっていた。 監督を先頭に、父から彼、彼から小作人たちが一列になって、鉄道線路を黙りながら歩い・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 短い沈黙を経過する。儀式は皆済む。もう刑の執行より外は残っていない。 死である。 この刹那には、この場にありあわしただけの人が皆同じ感じに支配せられている。どうして、この黒い上衣を着て、シルクハットを被った二十人の男が、この意・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊をおどる。未開人民の踊のような踊である。そして死ぬる。 小娘は釣っている。大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。 直き傍に腰を掛けている貴夫人がこう云った。「ジュ ヌ ・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・ まだ、その蜘蛛大名の一座に、胴の太い、脚の短い、芋虫が髪を結って、緋の腰布を捲いたような侏儒の婦が、三人ばかりいた。それが、見世ものの踊を済まして、寝しなに町の湯へ入る時は、風呂の縁へ両手を掛けて、横に両脚でドブンと浸る。そして湯の中・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・三月の間は長いとも短いともいえる、悲しく苦しく不安の思いで過ごさば、わずか百日に足らぬ月日も随分長かった思いがしよう。二人にとってのこの三月は、変化多き世の中にもちょっと例の少ない並ならぬ三月であった。 身も心も一つと思いあった二人が、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・吉弥もまた短い手紙を書きあげたのを、自慢そうだ――「どれ見せろ」と、僕は取って見た。 下手くそな仮名文字だが、やッとその意だけは通じている。さきに僕がかの女のお袋に尋ねて、吉弥は小学校を出たかというと、学校へはやらなかったので、わず・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・これを伝えることは一つの技術であります。短い言葉でありますけれども、このなかに非常の意味が含まっております。たといわれわれが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これかならずしも誰にもできるものではないと思います。・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
古来例のない、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。 ロシアの医科大学の女学生が、ある晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名も何も書いてない。「あなたの御関係・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・その夜も、日の短い冬ですから、だいぶふけていたのであります。そして、急に、いままできこえなかった、遠くで鳴る、汽笛の音などが耳にはいるのでした。「まあ、青い、青い、星!」 電車の停留場に向かって、歩く途中で、ふと天上の一つの星を見て・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
出典:青空文庫