・・・ 「いろは」短歌 我我の生活に欠くべからざる思想は或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない。 運命 遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟この三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 母の芸術上の趣味は、自分でも短歌を作るくらいのことはするほどで、かなり豊かにもっている。今でも時々やっているが、若い時にはことに好んで腰折れを詠んでみずから娯んでいた。読書も好きであるが、これはハウスワイフということに制せられて、思う・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・そうそう、君は何日か短歌が滅びるとおれに言ったことがあるね。この頃その短歌滅亡論という奴が流行って来たじゃないか。A 流行るかね。おれの読んだのは尾上柴舟という人の書いたのだけだ。B そうさ。おれの読んだのもそれだ。然し一人が言い出・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ その間に、私は四五百首の短歌を作った。短歌! あの短歌を作るということは、いうまでもなく叙上の心持と齟齬している。 しかしそれにはまたそれ相応の理由があった。私は小説を書きたかった。否・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・彼等の文学は、ただ俳句的リアリズムと短歌的なリリシズムに支えられ、文化主義の知性に彩られて、いちはやく造型美術的完成の境地に逃げ込もうとする文学である。そして、彼等はただ老境に憧れ、年輪的な人間完成、いや、渋くさびた老枯を目標に生活し、そし・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ これまで、日本の文学は、俳句的な写実と、短歌的な抒情より一歩も出なかった。つまりは、もののあわれだ。「ファビアン」や「ユリシーズ」はもののあわれではない。もののあわれへのノスタルジアや、いわゆる心境小説としての私小説へのノスタルジアに・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・同氏のほかの短歌や詩は、恋だとか、何だとかをヒネくって、技巧を弄し、吾々は一体虫が好かんものである。吾々には、ひとつもふれてきない。が、「君死にたまふことなかれ」という詩だけは、七五調の古い新体詩の形に束縛されつゝもさすがに肉親に関係するこ・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・ 彼はまた短歌や俳諧を論じて「フレーセオロジーに置き換えられた象形文字」であると言い、二三の俳句の作例を引いてその構成がモンタージュ構成であると言っている。 私はかつて「思想」や「渋柿」誌上で俳諧連句の構成が映画のモンタージュ的構成・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・そうして日本の俳諧や短歌の中にモンタージュ芸術の多分な要素の含まれていることを強調しているそうである。 エイゼンシュテインがいかなる程度にわが国の俳諧を理解してこう言っているかはわかりかねるが、日本人の目から見ても最もすぐれたモンタージ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
御手紙を難有う。『立像』の新短歌について何か思ったことを書けとの御沙汰でしたから手近にあった第三号をあけてはじめから歌だけ拾って読んで行きました。読んでいるうちにふと昨夜見た夢を想い出したのです。 見知らぬ広い屋敷の庭・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
出典:青空文庫