・・・ この使のついでに、明神の石坂、開化楼裏の、あの切立の段を下りた宮本町の横小路に、相馬煎餅――塩煎餅の、焼方の、醤油の斑に、何となく轡の形の浮出して見える名物がある。――茶受にしよう、是非お千さんにも食べさしたいと、甘谷の発議。で、宗吉・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・北村君は石坂昌孝氏の娘に方る、みな子さんを娶って、二十五歳の時には早や愛児のふさ子さんが生れて居た。北村君は思い詰めているような人ではあったが、一方には又磊落な、飄逸な処があって、皮肉も云えば、冗談も云って、友達を笑わすような、面白い処もあ・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ 石坂氏ハダメナ作家デアル。葛西善蔵先生ハ、旦那芸ト言ウテ深ク苦慮シテ居マシタ。以来、十春秋、日夜転輾、鞭影キミヲ尅シ、九狂一拝ノ精進、師ノ御懸念一掃ノオ仕事シテ居ラレルナラバ、私、何ヲ言オウ、声高ク、「アリガトウ」ト明朗、粛然ノ謝辞ノ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ 石坂洋次郎氏の「麦死なず」を流れる感情も根柢に於ては、ここに血脈をひいている。「麦死なず」に対する批評に向って反駁的、勝者的気分で書かれている同氏の「悪作家より」でその気分は極めて率直と云えば率直、高飛車と云えば高飛車に云われているの・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・昨今の外部的な条件は、例えばいつぞや『朝日新聞』が石坂洋次郎氏の小説をのせる広告を出したら、急にそれはのらないことになって坪田譲治氏の「家に子供あり」になったような影響を示す場合もあるけれどもそれは、文学にとっては相対的な条件であって、この・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・そして石川達三、石坂洋次郎、丹羽文雄、その他の作家や学者のある人は、全面講和でなければいけないと主張しています。 実際に世界の平和と日本の自立の為には、日本管理に関係のあるソヴェト同盟、中華人民共和国、その他オーストラリヤ、イギリスその・・・ 宮本百合子 「今年こそは」
・・・等、いずれも能動精神を作品において具体化しようと試みられて、当時問題作とされたものであり、三田文学に連載中であった石坂洋次郎氏の「若い人」もやはりその作品のもつ行動性という点で、注目をひいたのであった。 現実生活の内部の矛盾は、行動主義・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・一九三三年に石坂洋次郎が、左翼への戯画としてかいた「麦死なず」と、一九五〇年に三好十郎が書いた「ストリップ・ショウ・殺意」とを見くらべれば、現代文学の傾斜が明瞭にわかる。そして、この「殺意」と「三木清における人間の研究」「たぬき退治」とは、・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・という石坂洋次郎の小説があった。そこでは歴史の或る時代の或る種の女の動きが、劇画化されて描かれた。題が同じだということばかりでなく、この「麦死なず」の詩に女の真情的なもので同じ現象が見られていると思う。女にはしかしその時期の間に・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ 石坂洋次郎の「若い人」の芸術性にもこれが貫いている。この二人の作家の時代的な本質については、後にやや詳しく触れることとして、当時のこのような心理は、他の角度に於て武田麟太郎の市井小説の提案を生む動機となった。『人民文庫』による、武田麟・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫