・・・ この石は、もとどこかの石橋に使ってあったものを父が掘り出して来て、そうして、この位置にすえたものである。それは自分が物ごころついてから後のことであった。この石の中ほどにたしか少しくぼんだところがあって、それによく雨水や打ち水がたまって・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・ 十三 日本橋その他の石橋の花崗石が、大正十二年の震火災に焼けてボロボロにはじけた痕が、今日でも歴然と残っている。河の上にあって、近所の建物からかなり遠く離れていて、それでどうしてこんなにひどく焼かれたか不思・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ 池の端を描いた清親の板画は雪に埋れた枯葦の間から湖心遥に一点の花かとも見える弁財天の赤い祠を望むところ、一人の芸者が箱屋を伴い吹雪に傘をつぼめながら柳のかげなる石橋を渡って行く景である。この板画の制作せられたのは明治十二三年のころであ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・自分がそもそも最初に深川の方面へ出掛けて行ったのもやはりこの汐留の石橋の下から出発する小な石油の蒸汽船に乗ったのであるが、それすら今では既に既に消滅してしまった時代の逸話となった。 銀座と銀座の界隈とはこれから先も一日一日と変って行くで・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 長屋は追々まばらになって、道もややひろく、その両側を流れる溝の水に石橋をわたし、生茂る竹むらをそのままの垣にした閑雅な門構の家がつづき出す。わたくしはかつてそれらの中の一構が、有名な料理屋田川屋の跡だとかいうはなしを聞いたことがあった・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 細い溝にかかった石橋を前にして、「内陣、新吉原講」と金字で書いた鉄門をはいると、真直な敷石道の左右に並ぶ休茶屋の暖簾と、奉納の手拭が目覚めるばかり連続って、その奥深く石段を上った小高い処に、本殿の屋根が夕日を受けながら黒く聳えている。・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・シャロットの入口に渡したる石橋に、蹄も砕けよと乗り懸けしと思えば、馬は何物にか躓きて前足を折る。騎るわれは鬣をさかに扱いて前にのめる。戞と打つは石の上と心得しに、われより先に斃れたる人の鎧の袖なり」「あぶない!」と老人は眼の前の事の如く・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・上級では川上眉山、石橋思案、尾崎紅葉などがいた。紅葉はあまり学校のほうはできのよくない男で、交際も自分とはしなかった。それからしばらくすると紅葉の小説が名高くなりだした。僕はそのころは小説を書こうなんどとは夢にも思っていなかったが、なあにお・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 空濠にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔がある。これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向へ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に鐘塔が・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 皮剥けば青けむり立つ蜜柑かな 石橋山の麓を過ぐ頼朝の隠れし処もかなたの山にありと人のいえど日已に傾むきかかれば得行かず。ただ 木のうろに隠れうせけりけらつゝきなど戯る。小田原を過ぐればこの頃の天気の癖とて雨はらはら・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
出典:青空文庫