・・・そこには泥を塗り固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりと暁を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に襞をなぞった、寒い茶褐色の松樹山が、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・菓子には新聞紙にあったらしい、石油のがしみついていた。 三人はトロッコを押しながら緩い傾斜を登って行った。良平は車に手をかけていても、心は外の事を考えていた。 その坂を向うへ下り切ると、又同じような茶店があった。土工たちがその中へは・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・ 色のまっ黒な、眼の大きい、柔な口髭のあるミスラ君は、テエブルの上にある石油ランプの心を撚りながら、元気よく私に挨拶しました。「いや、あなたの魔術さえ拝見出来れば、雨くらいは何ともありません。」 私は椅子に腰かけてから、うす暗い・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・……路傍のつぶれ屋を、石油を掛けて焼消そうか。牡丹の根へ毒を絞って、あの小川をのみ干そうか。 もうとても……大慈大悲に、腹帯をお守り下さいます、観音様の前には、口惜くって、もどかしくって居堪らなくなったんですもの。悪念、邪心に、肝も魂も・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・「石油が待てしばしもなく、※じゃござりません。唯今、鼻紙で切りました骸骨を踊らせておりますんで、へい、」「何じゃ、骸骨が、踊を踊る。」 どたどたと立合の背に凭懸って、「手品か、うむ、手品を売りよるじゃな。」「へい、八通り・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ しかし、彼はすぐもとの、鈍重な、人の善さそうな顔になり、「肺やったら、石油を飲みなはれ。石油を……」 意外なことを言いだした。「えッ?」 と、訊きかえすと、「あんた、知りはれしまへんのんか。肺病に石油がよう効くとい・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流してい・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・ 簿記函と書た長方形の箱が鼠入らずの代をしている、其上に二合入の醤油徳利と石油の鑵とが置てあって、箱の前には小さな塗膳があって其上に茶椀小皿などが三ツ四ツ伏せて有る其横に煤ぼった凉炉が有って凸凹した湯鑵がかけてある。凉炉と膳との蔭に土鍋・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・日本が出兵していたころ、御用商人に早変りして、内地なら三円の石油を一と鑵十二円で売りつけた。一ちょうの豆腐を十五銭に勘定した。ロシア人の馬車を使って、五割の頭をはねた。女郎屋のおやじになった。森林の利権を買って、それをまた会社へ鞘を取って売・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・浮塵子がわくと白熱燈が使われた。石油を撒き、石油ランプをともし、子供が脛まで、くさった水苔くさい田の中へ脚をずりこまして、葉裏の卵を探す代りに。 苅った稲も扱きばしで扱き、ふるいにかけ、唐臼ですり、唐箕にかけ、それから玄米とする。そんな・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫