・・・仁右衛門夫婦の嗅ぎつけない石炭酸の香は二人を小屋から追出してしまった。二人は川森に付添われて西に廻った月の光の下にしょんぼり立った。 世話に来た人たちは一人去り二人去り、やがて川森も笠井も去ってしまった。 水を打ったような夜の涼しさ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ そこでも、坑夫は、溜息をついて、眼を下へ落した。「うちの市三、別条なかったかなア!」 石炭酸の臭いがプン/\している病院の手術室へ這入ると、武松は、何気なく先生、こんな片身をそぎ取られて、腹に穴があいて、一分間と生きとれるもん・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・近所の医者の処へ石炭酸水を貰いに遣れと云う人がある。手を包めと云って紙を出す。手拭を出す。 鴎外の描写は、あざやかである。騒動が、眼に見えるようだ。そうしてそれから鴎外は、「皆が勧めるから嫌な酒を五六杯飲んだ。」と書いてある。顔をしかめ・・・ 太宰治 「花吹雪」
出典:青空文庫