いしだいら【石田衣良】
[1960〜 ]小説家。東京の生まれ。本名、石平庄一 (いしだいらしょういち) 。コピーライターを経て作家となる。「4TEEN(フォーティーン)」で直木賞受賞。他に「池袋ウエストゲートパーク」「娼年 (しょうねん) 」「アキハバラ@DEEP」など。
いしだえいいちろう【石田英一郎】
[1903〜1968]文化人類学者。大阪の生まれ。東大教授。日本の文化人類学の基礎を築いた。比較民俗学研究にも寄与。著「河童駒引考 (かっぱこまびきこう) 」「桃太郎の母」など。
いしだばいがん【石田梅岩】
[1685〜1744]江戸中期の思想家。石門 (せきもん) 心学の始祖。丹波の人。本名、興長。小栗了雲に師事。実践的倫理思想をわかりやすく説き、町人層に歓迎された。著「都鄙 (とひ) 問答」「斉家論」など。
いしだはきょう【石田波郷】
[1913〜1969]俳人。愛媛の生まれ。本名、哲大 (てつお) 。水原秋桜子 (しゅうおうし) の教えを受け、「馬酔木 (あしび) 」の同人となる。清新な青春俳句で注目され、のち、句誌「鶴」を主宰。句集に「鶴の眼」「風切」「惜命 (しゃくみょう) 」など。
いしだみつなり【石田三成】
[1560〜1600]安土桃山時代の武将。近江 (おうみ) の人。幼名、佐吉。豊臣秀吉に才知を認められて五奉行の一人となり、太閤検地など内政面に活躍。文禄4年(1595)近江佐和山城主となり19万4千石を領したが、秀吉の死後、関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れ、処刑された。
いしだみとく【石田未得】
[1587〜1669]江戸前期の俳人・狂歌師。江戸の人。号、乾堂。松永貞徳の門人で、半井卜養 (なからいぼくよう) とともに江戸二大狂歌師といわれた。著「吾吟我集 (ごぎんわがしゅう) 」。
いしだゆうてい【石田幽汀】
[1721〜1786]江戸中期の画家。播磨 (はりま) の人。京都で活躍。写実性の強い装飾性を特色とする。円山応挙 (まるやまおうきょ) の師。
いしだりゅう【石田流】
江戸初期の盲人棋士石田検校 (けんぎょう) が始めた、将棋の駒 (こま) 組み。飛車を角行 (かっこう) の右へ移して戦う平手 (ひらて) 定跡。
いしだなかお【石田名香雄】
[1923〜2009]医学者。新潟の生まれ。ウイルス・細菌の研究に業績を残し、昭和28年(1953)にはセンダイウイルスを発見。制癌剤ネオカルチノスタチン(NCS)の開発でも知られる。
いしだはきょうぜんくしゅう【石田波郷全句集】
愛媛県出身の俳人、石田波郷の句集。正題「定本石田波郷全句集」。昭和29年(1954)刊行。昭和30年(1955)、第6回読売文学賞受賞。