・・・点々と桜の実をこぼした庭の砂地にも漂っている。保吉のセルの膝の上に載った一枚の十円札にも漂っている。彼はその夕明りの中にしみじみこの折目のついた十円札へ目を落した。鼠色の唐艸や十六菊の中に朱の印を押した十円札は不思議にも美しい紙幣である。楕・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・尖はとがらないでも、砂地だからよく抜ける。「松露よ、松露よ、――旦那さん。」「素晴しいぞ。」 むくりと砂を吹く、飯蛸の乾びた天窓ほどなのを掻くと、砂を被って、ふらふらと足のようなものがついて取れる。頭をたたいて、「飯蛸より、・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・際まで、凡そ二百歩もあった筈なのが、白砂に足を踏掛けたと思うと、早や爪先が冷く浪のさきに触れたので、昼間は鉄の鍋で煮上げたような砂が、皆ずぶずぶに濡れて、冷こく、宛然網の下を、水が潜って寄せ来るよう、砂地に立ってても身体が揺ぎそうに思われて・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・彼はいかにして砂地を田園に化せしか、いかにして沼地の水を排いしか、いかにして磽地を拓いて果園を作りしか、これ植林に劣らぬ面白き物語であります。これらの問題に興味を有せらるる諸君はじかに私についてお尋ねを願います。 * ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・右の方には砂地に草の生えた原が、眠たそうに広がっている。 二人の百姓は、町へ出て物を売った帰りと見えて、停車場に附属している料理店に坐り込んで祝盃を挙げている。 そこで女二人だけ黙って並んで歩き出した。女房の方が道案内をする。その道・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・私は、先刻から、おまえさんが餌を探しているのを見ていたが、なぜそんな砂地などをあちこちと歩きまわって、見つかりもしないのに、餌などを探しているのですか。おまえさんの大好きな米も、豆も、きびも、どこの野原にもたくさんあるじゃありませんか。なぜ・・・ 小川未明 「汽車の中のくまと鶏」
・・・馬車は、ひづめの音を砂地の上にたてて、日暮れ方の空の下をかなたに去りました。 弟は、そのひづめの音が遠く、かすかに、まったく聞こえなくなるまで、草の上にすわって、じっと耳を澄ましていました。 一時間はたち、二時間はたっても、ついに姉・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・そこには、ばらばらに小さい家が建ちぐさったりしている、どすぐろい、ひろい砂地がありました。そのあたりは、冬は風がはげしくて、砂がじゃりじゃり家々の窓や、とおる人の顔へふきとんで来ます。「おお、ひどい砂だ。」と言いながら、肉屋は犬のあとか・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・ソノホカニモ水死人、サマザマノスガタデ考エテイルソウデス、白イ浴衣着タ叔父サンガ、フトコロニ石ヲ一杯イレテ、ヤハリ海ノ底、砂地ヘドッカトアグラカイテ威張ッテイタ。沈没シタ汽船ノ客室ノ、扉ヲアケタラ、五人ノ死人ガ、スット奥カラ出テ来タソウデス・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ 岸にあがっている大きい漁船と漁船のあいだに花江さんは、はいって行って、そうして砂地に腰をおろしました。「いらっしゃい。坐ると風が当らなくて、あたたかいわ」 私は花江さんが両脚を前に投げ出して坐っている個所から、二メートルくらい・・・ 太宰治 「トカトントン」
出典:青空文庫