・・・清澄山の道善房はむしろ平凡な人であったが、日蓮が法華経に起ったとき、怒って破門した。後に道善房が死んだとき日蓮は身延山にいたが、深く悲しみ、弟子日向をつかわして厚く菩提を葬わしめた。小湊の誕生寺には日蓮自刻の母親の木像がある。いたって孝心深・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ついには、ひどく叱られ、破門のようになっていたのであるが、ことしの正月には御年始に行き、お詫びとお礼を申し上げた。それから、ずっとまた御無沙汰して、その日は、親友の著書の出版記念会の発起人になってもらいに、あがったのである。御在宅であった。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・しかるに管下の末寺から逆徒が出たといっては、大狼狽で破門したり僧籍を剥いだり、恐れ入り奉るとは上書しても、御慈悲と一句書いたものがないとは、何という情ないことか。幸徳らの死に関しては、我々五千万人斉しくその責を負わねばならぬ。しかしもっとも・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 今になって、誰一人この辺鄙な小石川の高台にもかつては一般の住民が踊の名人坂東美津江のいた事を土地の誇となしまた寄席で曲弾をしたため家元から破門された三味線の名人常磐津金蔵が同じく小石川の人であった事を尽きない語草にしたような時代のあっ・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・は先日魯西亜の国教を蔑視すると云うので破門されたのである。天下の「トルストイ」を破門したのだから大騒ぎだ。或る絵画展覧会に「トルストイ」の肖像が出ているとその前に花が山をなす、それから皆が相談して「トルストイ」に何か進物をしようなんかんて「・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ これは破門の宣告状でございます、 陛下に―― お間違いだろうと存じます。法王 盲にも、目くされにもなって居らんでの。小姓はすくんだ様に下を向いてそこに立つ。法 馬の用意をいたいて呉れ。法王の供人一・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫