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出典:gooニュース
戦後80年、兄が眠る硫黄島にはもう行けない… 高齢の旧島民、帰還かなわず軍事利用だけが進むもどかしさ
◇◆異なる戦後の歩み…米軍占領下にあった硫黄島と沖縄 硫黄島と北硫黄島、南硫黄島からなる東京都小笠原村の火山列島(硫黄列島)では、戦時中の1944年、無人の南硫黄島を除く2島の住民の大部分が本土に強制疎開させられた。当時、硫黄島に約1100人、北硫黄島には約90人が暮らしていた。軍属として103人が残され、うち約90人が戦闘の犠牲になった。
玉砕の島は「宝の島」 硫黄島への「違憲施策に終止符を」
米軍が上陸してから80年になる19日、戦時中の強制疎開後に帰れないままとなっている旧島民らでつくる一般社団法人「硫黄島帰島促進協議会」(麻生憲司会長)が、国土交通省に「帰島を認めない違憲施策に終止符を」と訴える要望書を提出し、記者会見をした。 小笠原諸島は1968年に米国から返還された。だが国は、火山活動や不発弾処理などを理由に、硫黄島を復興計画の対象から除外。
硫黄島の激戦、記憶継承を 80年に合わせワシントンで献花
歴史家アレックス・カーショーさんは、硫黄島の激戦は「米海兵隊にとって史上最も厳しい戦い」だったとし、二度と繰り返されてはならないと指摘した。
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