出典:青空文庫
・・・が、六十年以前にその祖父の埋めた財宝を彼の助けを借りて、発掘する・・・ 芥川竜之介「さまよえる猶太人」
・・・ これは江戸の昔から祖父や父の住んでいた古家を毀した時のことであ・・・ 芥川竜之介「追憶」
・・・父、すなわち私たちの祖父に当たる人は、薩摩の中の小藩の士で、島津・・・ 有島武郎「私の父と母」
出典:gooニュース
小島よしお、沖縄戦従軍の祖父のマラリアからの生還に「生き残ってなかったら、僕もいないわけですしね」
戦後は戦争のことは一切語らず明るく振る舞ったという祖父。昭和24年には小島の母が生まれた。祖父の明るさを受け継いだ母は上京し、琉球舞踊を通じて、小島の父と出会い、結婚した。 祖父の歴史を知った小島は「沖縄の方のおじいちゃんの若い時のことは知らなかったんで。
小島よしお「私の今の芸風は…」祖父は巨額の借金背負うも「ニコニコ主義」で金融界で成功
曾祖父の苦労を見て育った祖父は勉学に励み、小樽高等商業学校(現・小樽商科大)に合格。卒業後は不動貯金銀行に就職した。 祖父は一男一女をもうけたが、知人の借金の保証人になったことで莫大な借金を背負うことに。銀行を退職し、アンゴラウサギの養殖、パチンコ店経営などを手がけたがうまく行かず。
小島よしお、難病乗り越えた母方の祖父に感謝「生き残ってなかったら僕はいない、奇跡」
加那さんの孫として生まれたのが、よしおにとって母方の祖父にあたる敏一(びんいち)さんだった。敏一さんは人を笑わせるのが得意で、集落の人気者だったという。二十歳になった敏一さんは陸軍に召集。復員後は農業に従事し、その後結婚し長女が生まれた。だが、その2年後に再び召集を受けた。マラリアを発症しながらも耐えて終戦。久米島に戻った。
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