・・・何でも後に聞いた話によれば病院の医者や看護婦たちは旧正月を祝うために夜更けまで歌留多会をつづけていた。彼はその騒ぎに眠られないのを怒り、ベッドの上に横たわったまま、おお声に彼等を叱りつけた、と同時に大喀血をし、すぐに死んだとか云うことだった・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・歳暮大売出しの楽隊の音、目まぐるしい仁丹の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾、蜘蛛手に張った万国国旗、飾窓の中のサンタ・クロス、露店に並んだ絵葉書や日暦――すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、世界のはてまでも燦・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・太夫様にお祝儀を申上げ、われらとても心祝いに、この鯉魚を肴に、祝うて一献、心ばかりの粗酒を差上げとう存じまする。まず風情はなくとも、あの島影にお船を繋ぎ、涼しく水ものをさしあげて、やがてお席を母屋の方へ移しましょう。」で、辞退も会釈もさせず・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・と茶も飲まないで直ぐ飛出し、「大勝利だ、今度こそロスの息の根を留めた、下戸もシャンパンを祝うべしだネ!」と周章た格子を排けて、待たせて置いた車に飛乗りざま、「急げ、急げ!」 こんな周章ただしい忙がしい面会は前後に二度となかった。「ロスの・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ペエトル一世が、王女アンの結婚を祝う意味で、全国の町々に、このような小さい公園を下賜せられた。この東洋の金魚も、王女アンの貴い玩具であったそうな。私はこの小さい公園が好きだ。瓦斯燈に大きい蛾がひとつ、ピンで留められたようについている。ふと見・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ 正月をめでたいとして祝うことを始めて発明した人があったとしたら、その人はやはりなかなかえらい人であったろうと思われるのである。 二 こじきの体験 子供の時分、たぶん七八歳ぐらいのころかと思うがとにかくあまり自慢・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・町の店屋へ買い物に行くと、お前さんの故国でもワイナハトを祝うかなぞときくのがだいぶありました。 降誕祭の初めの日には、主婦さんが、タンネンバウムを飾るから手伝ってくれぬかと言うので、お手伝いしました。たいそう古くなったお菓子を黄色いリボ・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ 私達にとっての六十一はそれとして祝う意味もないが、お母さんはやはり還暦ということをお考えでしょう。普通は赤い座蒲団などを送りますが、そんな形式的なことは元気なお母さんに失礼ですから、何とかやりくりしてお気に入りそうな着物を一揃え上げたいも・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・スタインベックは、「これらはすべて極めてとるに足らない事を祝う時に使われる馬鹿馬鹿しい讚辞である」と云っている。「スターリングラードが六台の土鋤機を欲しているときに、世界は一個のごまかしの賞牌をその胸に飾ったのである」と。 だけれども、・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
わたしたち日本の人々は、いつもお正月になると、互に、おめでとう、と云いあって新年を祝う習慣をもっております。これまで戦争のなかで迎えた不安な、切ないいく度かの正月を、わたしたちは、おめでとうとも云えませんわね、と云って迎え・・・ 宮本百合子 「今年こそは」
出典:青空文庫