・・・出版記念宴会の席上で、井伏氏が低い声で祝辞を述べる。「質実な作家が、質実な作家として認められることは、これは、大変なことで、」語尾が震えていた。 たまに、すこし書くのであるから、充分、考えて考えて書かなければなるまい。ナンセンス。・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・事変のはじまったばかりの頃は、佐野君は此の祝辞を、なんだか言いにくかった。でも、いまは、こだわりもなく祝辞を言える。だんだん、このように気持が統一されて行くのであろう。いいことだ、と佐野君は思った。「可愛いがっていた甥御さんだったから、・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・惣助はそのあくびの大きすぎるのを気に病み、祝辞を述べにやって来る親戚の者たちへ肩身のせまい思いをした。惣助の懸念はそろそろと的中しはじめた。太郎は母者人の乳房にもみずからすすんでしゃぶりつくようなことはなく、母者人のふところの中にいて口をた・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・知人の婚礼にも葬式にも行かないので、歯の浮くような祝辞や弔辞を傾聴する苦痛を知らない。雅叙園に行ったこともなければ洋楽入の長唄を耳にしたこともない。これは偏に鰥居の賜だといわなければならない。 ○ 森鴎外先生が・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・トルストイ百年記念祭が一九二八年にモスクワの大劇場で行われたが、そのとき、外国からの客、ツワイグやケレルマンがそこに立って挨拶した演壇へ出て祝辞をよんだソヴェト作家代表はリベディンスキーでも、キルションでもなかった。ピリニャークであったので・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・「私の祝辞」において、ますますそれに接近することを見て失望した。一九二六年から着手された「四十年」でゴーリキイは十月革命までのロシア近代の生活を描こうとした。ゴーリキイの誕生六十年記念祭にあたって、ソヴェト同盟・共産主義アカデミーで行われた・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
出典:青空文庫