・・・――「美華禁酒会長ヘンリイ・バレット氏は京漢鉄道の汽車中に頓死したり。同氏は薬罎を手に死しいたるより、自殺の疑いを生ぜしが、罎中の水薬は分析の結果、アルコオル類と判明したるよし。」・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・しかしいつごろからか禁酒同様になって、わずかに薬代わりの晩酌をするくらいに止まった。酒に酔った時の父は非常におもしろく、無邪気になって、まるで年寄った子供のようであった。その無邪気さかげんには誰でも噴き出さずにはいられなかった。 父の道・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ ところが、その年も押しつまったある夜、紙芝居をすませて帰ってきますと、今里の青年会館の前に禁酒宣伝の演説会の立看板が立っていたので、どんなことを喋るのか、喋り方を見てやろうと思いながら、はいって聴きました。そして、二人目の講師の演説が・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「……そりゃそうとも、僕も今度はまったく禁酒のつもりで帰ってきたのだ」と耕吉は答えた。「じつはね、僕も酒さえ禁めると、田舎へ帰ったらまだ活きて行く余地もあろうかと思ってね……」 耕吉はついこうつけ加えたが、さすがに顔の赤くなるのを感・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・アメリカの禁酒法案が通過して、あのように長く行なわれたのも、婦人の道徳性の内からの支配力がどんなに強いかの証拠であって、男子にとっては実はこれは容易でない克己がいるので、苦い顔をしながらも、どうも婦人のいうことをきかずにはおれぬのである。そ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ぼくは酒ぐせ悪いとの理由で、禁酒を命じられ、つまらないので、三時間位、白い壁の天井を眺めながら、皆の馬鹿話を聞いていました。それから御得意に挨拶に行き、会員、主任のうちに呼ばれて御馳走になり、カルタをとり、いま帰って、これを書いているのが夜・・・ 太宰治 「虚構の春」
私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしく・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・と言って立ち上り、電燈のスイッチをひねって、「このごろ細田は禁酒いたしましたもので、配給のお酒もよそへ廻してしまいまして、何もございませんで、失礼ですけど、こんなものでも、いかがでございますか。」 と落ちついて言って私に蜜柑などをすすめ・・・ 太宰治 「女神」
・・・それで絶対に禁酒を強調するかと思っていると、「おのづから捨てがたき折もあるべし」などとそろそろ酒の功能を並べているのもやはり「科学的」なところがある。 勝負事を否定するかと思うと、双六の上手の言葉を引いて修身治国の道を説いたり、ばくち打・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・一九二九年から禁酒運動の盛になったこと、文部省はアルコール中毒患者専門の療養所を開いた。キノで酒の体に及ぼす害、子孫に害を及ぼす恐ろしさ、酒が敵で心にもない反革命的行為に誘惑される実例も見せる。禁酒宣伝の示威行列も見たよ、度々。 ――誰・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
出典:青空文庫