・・・これは、元和六年、加賀の禅僧巴なるものの著した書物である。巴は当初南蛮寺に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来を捨てて仏門に帰依する事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣のある、一かどの才子だっ・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・松吟庵は閑にして俳士髭を撚るところ、五大堂は寂びて禅僧尻をすゆるによし。いわんやまたこの時金風淅々として天に亮々たる琴声を聞き、細雨霏々として袂に滴々たる翠露のかかるをや。過る者は送るがごとく、来るものは迎うるに似たり。赤き岸、白き渚あれば・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・足利時代に禅僧が輸入したような話があるかと思うと、十四世紀にある親王様が輸入された説もある。そうかと思うと『源氏物語』や『続世継』などに尺八の名があり、さらに上宮太子が尺八を吹かれたという話がある、シナには唐あたりの古いところにもとにかく尺・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・この点では禅僧と収賄議員との間にもいくらか相通ずるものがあるかもしれない。 いろいろなイズムも夏は暑苦しい。少なくも夏だけは「自由」の涼しさがほしいものである。「風流」は心の風通しのよい自由さを意味する言葉で、また心の涼しさを現わす言葉・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・またこれは個人の例ではないが日本の昔に盛んであった禅僧の修行などと云うものも極端な自然本位の道楽生活であります。彼らは見性のため究真のためすべてを抛って坐禅の工夫をします。黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・彼の作より寧ろ引用してある禅僧の話が心を打ったのだ。「悟りの遅速は全く人の性質で、それ丈では優劣にはなりません。入り易くても後で塞えて動かない人もありますし、又初め長く掛っても、愈と云う場合に非常に痛快に出来るのもあります。決して失・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・あるいは狗子仏性を問答する禅僧である。あるいは釈迦の誕生を見まもる女の群れである。風景を描けば、そこには千の与四郎がたたずんでいる。あるいは維盛最後の悲劇的な心持ちが、山により川によって現わそうと努められている。さらに純然たる幻想の物語を、・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・は信玄一代記と山本勘助伝とのからみ合わせで、勘助の子の禅僧が書き残した記録を材料としたであろうと思われる。は石清水物語と呼ばれている部分で、信玄や老臣たちの語録である。これは古老の言い伝えによったものらしいが、非常におもしろい。は軍法の巻で・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫