・・・に耽って居る輩金さえあれば誰にも出来る下劣な娯楽、これを事とする連中に茶の湯の一分たりと解るべき筈がない、茶の湯などの面白味が少しでも解る位ならば、そんな下等な馬鹿らしい遊びが出来るものでない、故福沢翁は金銭本能主義の人であったそうだが・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・式を挙げるに福沢先生を証人に立てて外国風に契約を交換す結婚の新例を開き、明治五、六年頃に一夫一婦論を説いて婦人の権利を主張したほどのフェミニストであったから、身文教の首班に座するや先ず根本的に改造を企てたのは女子教育であった。 優美より・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・そのころ福沢翁の著わした「世界国づくし」という和装木版刷りの書物があった。全体が七五調の歌謡体になっているので暗記しやすかった。そのさし絵の木版画に現われた西洋風景はおそらく自分の幼い頭にエキゾチズムの最初の種子を植え付けたものであったらし・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・実に国のために歎ずるに堪えずとて、福沢先生一篇の論文を立案し、中上川先生これを筆記し、「学問と政治と分離すべし」と題して、連日の『時事新報』社説に登録したるが、大いに学者ならびに政治家の注意を惹き来りて、目下正に世論実際の一問題となれり。よ・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 明治十年五月三十日福沢諭吉 記なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 明治五年申五月六日 京都三条御幸町の旅宿松屋にて福沢諭吉記 福沢諭吉 「京都学校の記」
左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。 余かつていえることあり。養蚕の目的は蚕卵紙を作るにあらずして糸を作るにあり、教育の・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・新女大学終左の一篇の記事は、女大学評論並に新女大学を時事新報に掲載中、福沢先生の親しく物語られたる次第を、本年四月十四日の新報に記したるものなり。本著発表の由縁を知るに足るべきを以て茲に附記することゝせり。 ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
左の一篇は、去る一三日、東京芝区三田二丁目慶応義塾邸内演説館において、福沢先生が同塾学生に向て演説の筆記なり。 学問に志して業を卒りたらば、その身そのまま即身実業の人たるべしとは、余が毎に諸氏に勧告するところ・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
『徳育如何』緒言 方今、世に教育論者あり。少年子弟の政治論に熱心なるを見て、軽躁不遜なりと称し、その罪を今の教育法に帰せんと欲するが如し。福沢先生その誣罔を弁じ、大いに論者の蒙を啓かんとて、教育論一篇を立案せ・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫