・・・三年たてば三田の学窓からも一人や二人秀才の現れないはずはない。とにかくそれまでの間に、森先生に御迷惑をかけるような失態を演じ出さないようにと思ってわたくしは毎週一、二回仏蘭西人某氏の家へ往って新着の新聞を読み、つとめて新しい風聞に接するよう・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼にさせて遊ばせておくのは不経済の話・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・それに似寄った事をせんだってごく簡略に『秀才文壇』の人に話してしまった。あいにくこの方面も種切れです。が、まあせっかくだから――いつおいでになっても、私の談話が御役に立った試がないようだから――つまらん事でも責任逃れに話しましょう。 私・・・ 夏目漱石 「文壇の趨勢」
・・・ 当時の哲学科の学生には、私共の上のクラスには、両松本や米山保三郎などいう秀才がおり、二年後のクラスには桑木巌翼君をはじめ姉崎、高山などいわゆる二十九年の天才組がいた。有名な夏目漱石君は一年上の英文学にいたが、フローレンツの時間で一緒に・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・古来勇婦の奇談は特別の事とするも、女中に文壇の秀才多きは我国史の示す所にして、西洋諸国に於ては特に其教育を重んじ、女子にして物理文学経済学等の専門を修めて自から大家の名を成すのみならず、女子の特得は思想の綿密なるに在りとて、官府の会計吏に採・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・大学が同期で、学内運動の先頭に立っていた秀才であり、万事目に立つ男だったのが、つかまった。これ迄、何年間ものがれていたのが不思議であった。つかまって、拘置所に入れられて、少くとも五年か七年帰れまいと本人さえ云っていたのに、急に出た。その男の・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫