・・・一刀三拝式の私小説家の立場から、岡本かの子のわずかに人間の可能性を描こうとする努力のうかがわれる小説をきらいだと断言する上林暁が、近代小説への道に逆行していることは事実で、偶然を書かず虚構を書かず、生活の総決算は書くが生活の可能性は書かず、・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・話そのものは味が淡く、一見私小説風のものだが、私はふとこれは架空の話ではないかと思った。 武田さんが死んでしまった今日、もうその真偽をただすすべもないが、しかし、武田さんともあろう人が本当にあった話をそのまま淡い味の私小説にする筈がない・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・そしてまた、虚飾と嘘の一つもない陳述はどんな私小説もこれほどの告白を敢てしたことはかつてあるまいと、思われるくらいであった。 本当に文学のようであった。が、この記録を一篇の小説にたとえるとすれば、そのヤマは彼女が石田の料亭の住込仲居にな・・・ 織田作之助 「世相」
・・・もののあわれへのノスタルジアや、いわゆる心境小説としての私小説へのノスタルジアに憧れている限り文壇進歩党ははびこるばかりである。といって、自分たちの文学運動にただ「民主主義」の四字を冠しただけで満足しているような文壇社会党乃至文壇共産党の文・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・といって、僕は私小説を書いたのではありません。また、坂田三吉を書いたのではありません。 この「私」の出し方と「文芸」九月号の出し方は、すこし違います。作中に「オダ」という人名が出て来ますが、これは読者が佐伯は作者であるなど思われると困り・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・私は、批評家たちの分類に従うと、自然主義的な私小説家という事になって居ります。それは、あなたが一口に高踏派と言われているのと同じくらいの便宜上の分類に過ぎませぬが、私の小説の題材は、いつも私の身辺の茶飯事から採られているので、そんな名前をも・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・「私小説と、懺悔。」 こう書きながら、私は、おかしくてならない。八百屋の小僧が、いま若旦那から聞いて来たばかりの、うろ覚えの新知識を、お得意さきのお鍋どんに、鹿爪らしく腕組して、こんこんと説き聞かせているふうの情景が、眼前に浮んで来・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・ 私小説を書く場合でさえ、作者は、たいてい自身を「いい子」にして書いて在る。「いい子」でない自叙伝的小説の主人公があったろうか。芥川龍之介も、そのような述懐を、何かの折に書き記して在ったように記憶する。私は事実そのような疑問にひっかかり・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・それから、私小説に就いて少し言いました。告白の限度という事にも言及しました。ふい、ふいと思いついた事を、てれくさい虫を押し殺し押し殺し、どもりながら言いました。自己暴露の底の愛情に就いても言ってみました。しばらく言っているうちに、だんだん言・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・これは謂わば三郎の私小説であった。二十二歳をむかえたときの三郎の嘘はすでに神に通じ、おのれがこうといつわるときにはすべて真実の黄金に化していた。黄村のまえではあくまで内気な孝行者に、塾に通う書生のまえでは恐ろしい訳知りに、花柳の巷では即ち団・・・ 太宰治 「ロマネスク」
出典:青空文庫