・・・と思うとその元禄女の上には、北村四海君の彫刻の女が御隣に控えたベエトオフェンへ滴るごとき秋波を送っている。但しこのベエトオフェンは、ただお君さんがベエトオフェンだと思っているだけで、実は亜米利加の大統領ウッドロオ・ウイルソンなのだから、北村・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ と笑い捨てて少年は乱暴に二階に上るを、お貞は秋波もて追懸けつつ、「芳ちゃん!」「何?」 と顧みたり。「まあ、ここへ来て、ちっとお話しなね。お祖母様はいま昼寝をしていらっしゃるよ。騒々しいねえ。」「そうかい。」 ・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・隣のボックスにいる撮影所の助監督に秋波を送りながら、いい加減に聴き流していたが、それから一週間毎夜同じ言葉をくりかえされているうちに、ふと寺田の一途さに心惹かれた。二十八歳の今日まで女を知らずに来たという話ももう冗談に思えず、十八の歳から体・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・その代り、土地柄が悪く、性質の良くない酒呑み同志が喧嘩をはじめたりして、柳吉はハラハラしたが、蝶子は昔とった杵柄で、そんな客をうまくさばくのに別に秋波をつかったりする必要もなかった。廓をひかえて夜更くまで客があり、看板を入れる頃はもう東の空・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・どんなに面白く、思い切って恋愛論をするかというようなことが、せち辛い世の中では、身すぎ、世すぎをもふくめて男のひとに対する女それぞれの一種の嬌態、ジャーナリズムへの秋波としてさえ役立てられているのである。 これらの二重、三重の利害によっ・・・ 宮本百合子 「もう少しの親切を」
・・・このためここの白い看護婦たちは、患者の脈を験べる巧妙な手つきと同様に、微笑と秋波を名優のように整頓しなければならなかった。しかし、彼女たちといえども一対の大きな乳房をもっていた。病舎の燈火が一斉に消えて、彼女たちの就寝の時間が来ると、彼女ら・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫