・・・そういう意味においてすべての種類の映画の制作はやはり広義における映画芸術の領域に属するものと思われるから、ここではそういう便宜上の種別を無視して概括的に考えることにする。 映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児である。それで映画・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・場合が三百三十六種、従って二つの場合の種別数の比は一対四十八である。人々の不思議はこの対比から来ることは明らかである。 三つ同じという場合だけを特に取り出して一方に祭り上げ、同じでないというのを十把ひとからげに安く踏んで同じ所へ押し込ん・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・その頃われわれが漢籍の種別とその価格とについて少しく知る所のあったのは、わたしと倶に支那語を学んでいた島田のおかげである。ここに少しく彼について言わなければならない。島田、名は翰、自ら元章と字していた。世に知られた宿儒篁村先生の次男で、われ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・を囲むいくつかの集団農場が、生産手段の工業化につれて、労働の種別基本賃銀による共同労働、共同食堂、共同住宅、クラブ、託児所をもって、これまでと全然違う集団的労働と休息をもつようになって来た。 集団農場では農業生産物の取引も、個人個人がや・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・映画製作が、種別に統制されるという企画は、日本が初めてではない。既に永年その方法でやられているところがある。やはり知りたいのは、その企画における文化としての質と量との比重であろう。 あらゆる面からそのおもしろさを求める点においても、映画・・・ 宮本百合子 「観る人・観せられる人」
出典:青空文庫