・・・彼は雷電のごとくに馳駆し、風雨のごとくに敵を吹きまくり、あるいは瀑布のごとくはげしく衝撃するかと思えば、また霊鷲のように孤独に深山にかくれるのである。熱烈と孤高と純直と、そして大衆への哭くが如きの愛とを持った、日本におけるまれに見る超人的性・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・寒い冬の晩で、藁仕事をしながら一家の者が薄暗い電燈の下に集っている時、農村の話をし社会主義の話をしたものである。戸は閉めきってあったが、焚き火もしなければ、火鉢もなかった。で親爺に鼻のさきに水ばなをとまらせていたものだ。なんでも僕は、新聞記・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・ 七日、朝いと夙く起き出でて、自ら戸を繰り外の方を見るに、天いと美わしく横雲のたなびける間に、なお昨夜の名残の電光す。涼しき中にこそと、朝餉済ますやがて立出ず。路は荒川に沿えど磧までは、あるは二、三町、あるいは四、五町を隔てたれば水の面・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・明るい電燈で、降ってくる雪片が、ハッキリ一つ一つ見えた。風がなかったので、その一つ一つが、いかにものんきに、フラフラ音もさせずに降っていた。活動常設館の前に来たとき入口のボックスに青い事務服を着た札売の女が往来をぼんやり見ていた。龍介はちょ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・暮れから道路工事の始まっていた電車通りも石やアスファルトにすっかり敷きかえられて、橡の並み木のすがたもなんとなく見直す時だ。私は次郎と二人でその新しい歩道を踏んで、鮨屋の店の前あたりからある病院のトタン塀に添うて歩いて行った。植木坂は勾配の・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・思い掛けない事なので、呆れて目をいて、丁度電にでも撃たれたように、両腕を物を防ぐような形に高く上げて一歩引き下がった。そして口から怪しげな、笑うような音を洩らして、同じ群の外の男等を見廻した。「今聞いた詞は笑談ではなかったか知らん。」 ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ やがて自分はのこのこと物置の方へ行って、そこから稲妻の形に山へついた切道を、すたすたと片跣足のままで駈け上る。高みに立てば沖がずっと見えるのである。そして、隣村の埠頭場から出る帆があれば、それが藤さんの船だと思ったからである。上れるだ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・沈んでゆく月のように凝っと一つところにかかったり、又は、迅い閃く稲妻のように、空――眼全体を照したり。生れ落るとから、唇の戦きほか言葉を持たずに来たものは、表し方に限りがなく、海のように深く、曙、黄昏が光りや影を写す天のように澄んだ眼の言語・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・たとえば、僕のうちの電話番号はご存じの通り4823ですが、この三桁と四桁の間に、コンマをいれて、4,823と書いている。巴里のように 48 | 23 とすれば、まだしも少しわかりよいのに、何でもかでも三桁おきにコンマを附けなければならぬ、と・・・ 太宰治 「愛と美について」
一 山手線の朝の七時二十分の上り汽車が、代々木の電車停留場の崖下を地響きさせて通るころ、千駄谷の田畝をてくてくと歩いていく男がある。この男の通らぬことはいかな日にもないので、雨の日には泥濘の深い田畝道に古い長靴を引きずっていくし・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫