・・・ ことしのお正月は、日本全国どこでもそのようでしたが、この地方も何十年振りかの大雪で、往来の電線に手がとどきそうになるほど雪が積り、庭木はへし折られ、塀は押し倒され、またぺしゃんこに潰された家などもあり、ほとんど大洪水みたいな被害で、連・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ しかし、その時、涙の谷、と母に言われて父は黙し、何か冗談を言って切りかえそうと思っても、とっさにうまい言葉が浮かばず、黙しつづけると、いよいよ気まずさが積り、さすがの「通人」の父も、とうとう、まじめな顔になってしまって、「誰か、人・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・自分は病気療養のためしばらく滞在する積りだから、階下の七番と札のついた小さい室を借りていた。ちょっとした庭を控えて、庭と桑畑との境の船板塀には、宿の三毛が来てよく昼眠をする。風が吹けば塀外の柳が靡く。二階に客のない時は大広間の真中へ椅子を持・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・ただ疑の積もりて証拠と凝らん時――ギニヴィアの捕われて杭に焼かるる時――この時を思えばランスロットの夢はいまだ成らず。 眠られぬ戸に何物かちょと障った気合である。枕を離るる頭の、音する方に、しばらくは振り向けるが、また元の如く落ち付いて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 彼は、駈けていた積りであったのに、後から登って行く小林に追いつかれた。 然し、一体、馴れた坑夫は、そんなに逃げるように慌てて、駈けはしないものだ。慌てて石に躓く事がある事を知っているからだ。 小林は、秋山よりも、もっと熟練工で・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・どんな詰まらぬ喜でも、どんな詰らぬ歎でも、己は真から喜んで真から歎いて見る積りだ。人生の柱になっている誠というものもこれからは覚えて見たい。これからは善と悪とが己を自由に動かして、己を喜ばせたり怒らせたりするようにしようと思う。そうしたなら・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・併し火葬のように無くなってもしまわず、土葬や水葬のように窮屈な深い処へ沈められるでもなし、頭から着物を沢山被っている位な積りになって人類学の参考室の壁にもたれているなども洒落ているかもしれぬ。其外に今一種のミイラというのはよく山の中の洞穴の・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ 二人はすっかり眠る積りでもなしにそこへ長くなった。そしてそのままうとうとした。ダーダーダーダーダースコダーダー 強い老人らしい声が剣舞の囃しを叫ぶのにびっくりして富沢は目をさました。台所の方で誰か三、四人の声ががやがや・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・迂遠な私は、落付いて一休みして行く積りなのだと思って居たのであった。 面喰い、猶も同じ疑問に拘泥して居る間に、彼は、薄平たい風呂敷包みを持って立ち上った。そして、片手の指には、火のつき煙の立つ煙草を挟んだまま、両足を開いて立ち、「失・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・ 防腐外科なんぞは、翁は分っている積りでも、実際本当には分からなかった。丁寧に消毒した手を有合の手拭で拭くような事が、いつまでも止まなかった。 これに反して、若い花房がどうしても企て及ばないと思ったのは、一種の Coup d'ドヨイ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫