雨を含んだ風がさっと吹いて、磯の香が満ちている――今日は二時頃から、ずッぷりと、一降り降ったあとだから、この雲の累った空合では、季節で蒸暑かりそうな処を、身に沁みるほどに薄寒い。…… 木の葉をこぼれる雫も冷い。……糠雨がまだ降って・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・……こうして月夜になったけれど、今日お午過ぎには暗く曇って、おつけ晴れて出られない身体にはちょうど可い空合いでしたから、貴方の留守に、お母さんのお墓まいりをしたんですよ。……飯田町へ行ってから、はじめてなんですもの。身がかたまって、生命がけ・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・もうちと経つと、花曇りという空合ながら、まだどうやら冬の余波がありそうで、ただこう薄暗い中はさもないが、処を定めず、時々墨流しのように乱れかかって、雲に雲が累なると、ちらちら白いものでも交りそうな気勢がする。……両三日。 今朝は麗かに晴・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・畑一枚先の人顔が分るようになった、いつでも話すこったが、そん時おれが、つくづく感心したのは、そら今ではあんなに仕合せをしてる、佐兵エどんの家内よ、あの人がたしか十四五の頃だな、おれは只遠い村々の眺めや空合の景色に気をとられて、人の居るにも心・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま暖かな日かげも射してまことに気まぐれな空合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧し気にみえる人の眼・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ そんな事を思いながら、本を読んで居たけれ共、何にも気が入らないので、何だか落つかないいやな空合を窓からぼんやりながめて居ると、今仕かけて居る仕事のはかどらない歯がゆさにむずむずして来る。 この八月中に下書きだけでも出来上らせて仕舞・・・ 宮本百合子 「曇天」
・・・あたりが何となし、うるおって、ハアッと息を遠くから吹きかけた鏡の面の様な空合になって居る。太陽は美くしい色に輝いて居るけれ共、寒さはひどいので、小川の面から息が立って居る。土地は汚なくなって行くばかりである。昨日、一日休んだ馬が、パカッ、パ・・・ 宮本百合子 「農村」
あんまりはっきり晴れ渡らない空合で、風も静かに気にかからぬまでに吹いて居る。 丁度満潮時で、海面は白と藍のむら濃になってゆるやかに息をついて居る。 かなり久しい間、海に来ないで居たので、波の音が、脳の中の、きたない・・・ 宮本百合子 「冬の海」
出典:青空文庫