・・・波が高まると妹の姿が見えなくなったその時の事を思うと、今でも私の胸は動悸がして、空恐ろしい気持ちになります。 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・入れてなお初めの道を顧み、心の中に悶え苦しむ人はもとよりのこと、一つの道をのみ追うて走る人でも、思い設けざるこの時かの時、眉目の涼しい、額の青白い、夜のごとき喪服を着たデンマークの公子と面を会わせて、空恐ろしいなつかしさを感ずるではないか。・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ 憎らしい鼻の爺は、それはそれは空恐ろしいほど、私の心の内を見抜いていて、日に幾たびとなく枕許へ参っては、(女、罪のないことは私と、つけつまわしつ謂うのだそうで。 お米は舌を食い切っても爺の膝を抱くのは、厭と冠をふり廻すと申すこ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。 ――おなじ思が胸を打った。同時であった、――人気勢がした。―― 御廟子の裏へ通う板廊下の正面の、簾すかしの観音びらきの扉が半ば開きつつ薄明い。……それを斜にさし覗いた、半身の気高い婦人があ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・文学を遣ると云ったのを思い出し空恐ろしい気もする。 夜中に見た夢が悪かったのか、男が余りがさつであった為か、私の気分は愈々悪化した。 宮本百合子 「或日」
・・・見る――斯う云う家、斯う云う生活もあるものかと思ったこの家の中に、色のやけてやせこけた、声ばかり驚くほど太い五人の子供が炉に掛った鍋の食物の煮えるのを、この上ない熱心さで見守って居る様子は、何となしに空恐ろしい様な気持を起させる。 私は・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫