・・・これは残酷な空想だろうか? 否。まったく猫の耳の持っている一種不可思議な示唆力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓っていた光景を忘れることができない。 このような疑惑は思・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・すると先生やるなら勝手にやり給え、君もも少しすると悟るだろう、要するに理想は空想だ、痴人の夢だ、なんて捨台辞を吐いて直ぐ去って了った。取残された僕は力味んではみたものの内内心細かった、それでも小作人の一人二人を相手にその後、三月ばかり辛棒し・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・自分の夢多き空想だとして、現実主義の恋愛作者に追従したりする必要はない。 観念的映像が多いだけむしろよく、それが青春の標徴である。恋愛を単に生物学的に考えたがることほど粗野なことはない。知性の進歩はその方角にあるのではない。恋愛を性慾的・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 本当らしく、空想で、でっち上げたところで、そんなものには三文の値打ちも有りゃしない。 で、以下は、労働祭のことではない。五月一日に農村であったことである。 香川県は、全国で最も弾圧のひどい土地だ。第一回の普選に大山さんが立・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・まさかに馬琴の書きましたほどの悪人が、その当時に存して居ったとは思えませぬが、さればとてそれは全く馬琴の空想ばかりで捏造したものではありません。ここに至りますと、半分は実社会の人物を種として、半分はそれに馬琴の該博な智識――おもに歴史から得・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・それから、麻布霞町の方へ移って、山羊なぞを飼って見た事もあったが、これには余程詩人風の空想が混っていた。星野天知君は、その後鎌倉の方へ引き込まれた北村君から、その山羊を引き取った事がある。そして「どうも北村君には一杯嵌められました。子供をお・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・長兄は、弟妹たちに較べて、あまり空想力は、豊富でなかった。物語は、いたって下手くそである。才能が、貧弱なのである。けれども、長兄は、それ故に、弟妹たちから、あなどられるのも心外でならぬ。必ず、最後に、何か一言、蛇足を加える。「けれども、だね・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・けれど悲嘆や、追憶や、空想や、そんなものはどうでもよい。疼痛、疼痛、その絶大な力と戦わねばならぬ。 潮のように押し寄せる。暴風のように荒れわたる。脚を固い板の上に立てて倒して、体を右に左にもがいた。「苦しい……」と思わず知らず叫んだ。・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・私は飯を食うためにこのような空想を中止しなければならないのであった。 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・「――そりゃァ理想というもんですよ、空想というもんですよ。ええ」 夜になって、高坂の工場へいって、板の間の隅で、“来り聴け! 社会問題大演説会”などと、赤丸つきのポスターを書いていると、硝子戸のむこうの帳場で、五高生の古藤や、浅川や・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫