・・・新蔵は泰さんと一しょに歩きながら、この空模様を眺めると、また忌わしい予感に襲われ出したので、自然相手との話もはずまず、無暗に足ばかり早め出しました。ですから泰さんは遅れ勝ちで、始終小走りに追いついては、さも気忙しそうに汗を拭いていましたが、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもなら・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・ あと二夜ばかりは、空模様を見て親たちが出さなかった。 さて晴れれば晴れるものかな。磨出した良い月夜に、駒の手綱を切放されたように飛出して行った時は、もうデロレンの高座は、消えたか、と跡もなく、後幕一重引いた、あたりの土塀の破目へ、・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 胸を反らして空模様を仰ぐ、豆売りのお婆の前を、内端な足取り、裳を細く、蛇目傘をやや前下りに、すらすらと撫肩の細いは……確に。 スーと傘をすぼめて、手洗鉢へ寄った時は、衣服の色が、美しく湛えた水に映るか、とこの欄干から遥かな心に見て・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・風が強く吹き出し雨を含んだ空模様は、今にも降りそうである。提灯を車の上に差出して、予を載せようとする車屋を見ると、如何にも元気のない顔をして居る。下ふくれの青白い顔、年は二十五六か、健康なものとはどうしても見えない。予は深く憐れを催した。家・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 二 この日は近ごろ珍しいいい天気であったが、次の日は梅雨前のこととて、朝から空模様怪しく、午後はじめじめ降りだした。普通の人ならせっかくの日曜をめちゃめちゃにしてしまったと不平を並べるところだが、時田先生、全く・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が夏とまったく変わってきて雨雲の南風につれて武蔵野の空低くしきりに雨を送るその晴間には日の光水気を帯びてかなたの林に落ちこなたの杜にかがやく。自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することがで・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・満月の輪廓は少しにじんでいた。空模様のせいではなかった。太郎の眼のせいであった。ふらりふらり歩きながら太郎は美男というものの不思議を考えた。むかしむかしのよい男が、どうしていまでは間抜けているのだろう。そんな筈はないのじゃがのう。これはこれ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・と圭さんは雨のなかに坊主頭を曝しながら、空模様を見廻す。「よなだ。よなが雨に溶けて降ってくるんだ。そら、その薄の上を見たまえ」と碌さんが指をさす。長い薄の葉は一面に灰を浴びて濡れながら、靡く。「なるほど」「困ったな、こりゃ」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
降りたくても降れないと云う様な空模様で、蒸す事甚い。 今朝も早くから隣の家でピアノを弾いて居るが気になって仕様がない。 もう二三年あの人は、此処に別荘を持って居て、ついぞ琴の音もした事がないのに、急にピアノがきこえ・・・ 宮本百合子 「一日」
出典:青空文庫