・・・その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、菊池と或問題を論じ合うと、その議論に勝った時でさえ、どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気がして、一向勝ち映えのある心もちになれない。ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・もっともアレだけの巻数を重ねたのはやはり相当の人気があったのであろうが、極めて空疎な武勇談を反覆するのみで曲亭の作と同日に語るべきものではない。『八犬伝』もまた末尾に近づくにしたがって強弩の末魯縞を穿つあたわざる憾みが些かないではないが、二・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・は多年の深い研究とした夙昔の抱負であったし、西伯利から満洲を放浪し、北京では中心舞台に較や乗出していたし、実行家としてこそさしたる手腕を示しもせず、また手腕がなかったかも知れぬが、頭の中の経綸は決して空疎でなかった。もし小説に仮托するなら矢・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので、笑っちゃった。名答である。美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。だから、私は、・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・はかえってはなはだ空疎なものに見えるかもしれない。それでこの二つの映画を見せて、そのいずれを選ぶかによって観客の定型を二つに分けることもできそうである。解析型と直観型あるいは構成派と印象派といったような二つに分けられはしないか。そう簡単には・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ こういう現実味からいうと演劇フィルムは多くははなはだ空疎なものである。プロットにないよけいなものは塵一筋も写さないというのが立て前であるらしい。これは劇の性質上当然のことかもしれないが、舞台で行なわるる演劇とフィルム劇とは必ずしも同じ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・また一方では、相当な科学者の書いたものでも、単に読者の退屈を紛らすためとしか思われないような、話の本筋とは本質的になんの交渉もないような事がらを五目飯のように交ぜたり、空疎な借りもののいわゆる「美文」を装飾的に織り込んだりしたようなものもま・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・頭のない空疎な絵ばかりの中ではどうしても目に立つ。 川端竜子の絵もある意味であたまは働いているが、いつも少し見当のちがったほうへ働いていはしないか。人に見せる絵と思わないで、自分で一人でしんみり楽しめるような絵をかくつもりでそのほうに頭・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・という言葉の内容がかなり空疎な散漫なものに思われて来る。九州人と東北人と比べると各個人の個性を超越するとしてもその上にそれぞれの地方的特性の支配が歴然と認められる。それで九州人の自然観や東北人の自然観といったようなものもそれぞれ立派に存立し・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・これが現代日本の大勢だとすればロマンチックの道徳換言すれば我が利益のすべてを犠牲に供して他のために行動せねば不徳義であると主張するようなアルトルイスチック一方の見解はどうしても空疎になってこなければならない。昔の道徳すなわち忠とか孝とか貞と・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫