・・・「そんなことは空論じゃないか? 僕などは僕自身にさえ、――未だに illusion を持っているだろう。」「それはそうかも知れないがね。……」 彼は浮かない顔をしながら、どんよりと曇った高台の景色を硝子戸越しに眺めていた。「・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ 四 社会運動と倫理学 青年層にはまた倫理学を迂遠でありとし、象牙の塔に閉じこもって、現実の世相を知らないものの机上の空論であるとしてかえり見ない向きもある。しかし街頭の実践運動家といえども倫理学的な指導原理を持ち、・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・「空論をお話して一向とりとめがないけれど、それは恐縮でありますが、丁度このごろ解析概論をやっているので、ちょっと覚えているのですが、一つの例として級数についてお話したい。二重もしくは、二重以上の無限級数の定義には、二種類あるのではないか、と・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・元来この種の問題の論議は勢い抽象的に傾くが故に、外観上往々形而上的の空論と混同さるる虞あり。科学者にしてかくのごとき問題に容喙する者は、その本分を忘れて邪路に陥る者として非難さるる事あり。しかれども実際は科学者が科学の領域を踏み外す危険を防・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・従ってここでいうところのチューインガム亡国論も畢竟はただ一場の空論に過ぎないと云われても仕方がないであろうが、しかしこの些末な嗜好品の流行の事実もそう軽々には見遁すことの出来ないものではあろうと思われる。 また考え直してみると日本という・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・斯る無根の空論を土台にして、女は陰性なり、陰は夜にして暗し、故に女子は愚なりと明言して憚らず。我輩は気の毒ながら失敬ながら記者を評して陰陽迷信の愚論者なりと言わんと欲する者なり。既に立論の根本を誤るときは其論及する所に価なきも亦知る可し。女・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・学流得失の論は、まず字を知りて後の沙汰なれば、あらかじめ空論に時日をついやすは益なき事なり。人間の智恵をもって、日本・支那・英仏等、わずか二、三ヶ国の語を学ぶになにほどの骨折あるや。鄙怯らしくもその字を知らずしてかえって己が知らざる学問のこ・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・後世の歌人といえども、誠を詠め、ありのままを写せ、と空論はすれどその作るところのかえっていつわりのたくみを脱するあたわざるは誠、ありのまま、の意義を誤解せるによる。西行のごときは幾多の新材料を容れたるところあるいはこの意義を解する者に似たれ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫