・・・ 二葉亭の窮理の鉄槌は啻に他人の思想や信仰を破壊するのみならず自分の思想や信仰や計画や目的までも間断なしに破壊していた。で、破壊しては新たに建直し、建直しては復た破壊し丁度児供が積木を翫ぶように一生を建てたり破したりするに終った。 ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。 こうした思惟に耽りながら、私はひとり秋の山道を歩いていた。その細い山道は、経路に沿うて林の・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・これらへはまず翻訳書を教え、地理・歴史・窮理学・脩心学・経済学・法律学等を知らしむべし。 いわゆる洋学校は人を導くべき人才を育する場所なれば、もっぱら洋書を研究し、難字をも読み、難文をも翻訳して、後進の便利を達すべきなり。方今の有様・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・科業は、いろは五十韻より用文章等の手習、九々の数、加減乗除、比例等の算術にいたり、句読は、府県名・国尽・翻訳の地理・窮理書・経済書の初歩等を授け、あるいは訳書の不足する所はしばらく漢書をもって補い、習字・算術・句読・暗誦、おのおの等を分ち、・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・三ヶ月終りて、地理書または窮理書一冊を読む。この間、六ヶ月を費す。六ヶ月終りて、歴史一冊を読む。この間、また、六ヶ月を費す。 右いずれも素読の教を受く。これにてたいてい洋書を読む味も分り、字引を用い先進の人へ不審を聞けば・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・この際や読書訳文の法、ようやく開け、諸家翻訳の書、陸続、世に出ずるといえども、おおむね和蘭の医籍に止まりて、かたわらその窮理、天文、地理、化学等の数科に及ぶのみ。ゆえに当時、この学を称して蘭学といえり。 けだしこの時といえども、通商の国・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・たとえば、天文、地理、究理、化学等は技芸なり。孝悌忠信は道徳なり。究理化学を学び得るも、孝悌忠信の道を知らざれば、世の風俗は次第に悪しくなるべしとて、もっぱら儒者の教を主張して、あるいは小学校の読本に、『論語』、『大学』等の如き経書を用いん・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・もしあるいは然らざるに似たる者は、未だ究理の不行届なるものと知るべし。そもそもこの物理学の敵にして、その発達を妨ぐるものは、人民の惑溺にして、たとえば陰陽五行論の如き、これなれども、幸にして我が国の上等社会には、その惑溺はなはだ少なし。拙著・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・が、明治文学が、その渾沌とした胎生期において、一方には福沢諭吉の「窮理図解」を持ち、他方に仮名垣魯文の「胡瓜遣」を持っていたということは、今日の文学の事情にまで連綿として実によく明治というものの複雑な歴史的本質を語っていると思う。 ヨー・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
出典:青空文庫