・・・彼はまず浦島太郎の竜宮を去るの図を彩りはじめた。竜宮は緑の屋根瓦に赤い柱のある宮殿である。乙姫は――彼はちょっと考えた後、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考えずとも好い、漁夫の着物は濃い藍色、腰蓑は薄い黄色であ・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・と見ると、竜宮の松火を灯したように、彼の身体がどんよりと光を放った。 白い炎が、影もなく橋にぴたりと寄せた時、水が穂に被るばかりに見えた。 ぴたぴたと板が鳴って、足がぐらぐらとしたので私は飛び退いた。土に下りると、はや其処に水があっ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ところがさ、商売柄、ぴかぴかきらきらで、廓の張店を硝子張の、竜宮づくりで輝かそうていったのが、むかし六郷様の裏門へぶつかったほど、一棟、真暗じゃありませんか。拍子抜とも、間抜けとも。……お前さん、近所で聞くとね、これが何と……いかに業体とは・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・――釵は鯉の腹を光って出た。――竜宮へ往来した釵の玉の鸚鵡である。「太夫様――太夫様。」 ものを言おうも知れない。―― とばかりで、二声聞いたように思っただけで、何の気勢もしない。 風も囁かず、公園の暗夜は寂しかった。「・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・それですから、弁天島の端なり、その……淡島の峯から、こうこの巌山を視めますと、本で見ました、仙境、魔界といった工合で……どんなか、拍子で、この崖に袖の長い女でも居ようものなら、竜宮から買ものに顕われたかと思ったもので。――前途の獅子浜、江の・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・どれも小さなほど愛らしく、器もいずれ可愛いのほど風情があって、その鯛、鰈の並んだ処は、雛壇の奥さながら、竜宮を視るおもい。 (もしもし何処 いや、実際六、七歳ぐらいの時に覚えている。母親の雛を思うと、遥かに竜宮の、幻のような気がして・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・巌路へ踏みはだかるように足を拡げ、タタと総身に動揺を加れて、大きな蟹が竜宮の女房を胸に抱いて逆落しの滝に乗るように、ずずずずずと下りて行く。「えらいぞ、権太、怪我をするな。」 と、髯が小走りに、土手の方から後へ下りる。「俺だって・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・譬喩を引けば浦島太郎が竜宮の一年はこの世界の十年に当たるというような空想や、五十年の人生を刹那に縮めて嘗め尽くすというような言葉の意味を、つまり「このエントロピーの時計で測った時の経過と普通の時計と比べて一年と十年また五十年と一瞬とに当たる・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・ 十三「陸の竜宮」と呼ばれる日本劇場が経営困難で閉鎖されるということが新聞で報ぜられた。翌日この劇場前を通ったら、なるほど、すべての入り口が閉鎖され平生のにぎやかな粧飾が全部取り払われて、そうして中央の入り口の前・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
出典:青空文庫