・・・ ゴーゴリ的会の内情主事 古知事知事の年俸五千円今はあっちこっちで七千円近くとる、竹内 女房子は故郷に置き下田の男妾、実践を見当にして居る。授産所の村井ともう一人の女を関係して居る。そのことを、男・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・公判廷は「ついに起訴状朗読にはいたらず午後五時三十分閉廷した」竹内被告をのぞく十一名の全被告が意見開陳にあたって、強力に、公訴取消しを要求した。その理由は、この事件の取調べは、検事側の威嚇と独断と術策によってすすめられたもので、人権は蹂躙さ・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・ この頃は早婚が奨励されていて、竹内茂代氏の説では女の適当な年齢は十九から二十歳と示されている。そして、よい母となるために女の生理の完全を要求せよ、と云われており、毎月おなかが痛むような娘はよろしくないとされている。こんな点からも、働く・・・ 宮本百合子 「働く婦人」
・・・ 竹内茂代女史は、日本女子の体格分類統計をもって医学博士になられた。彼女の博士論文から引出された論によると、女学生の体格は統計上背が高くすらりとしたタイプであり、女工たちの体はずんぐりで低く、四肢が短い。この統計によって見ても明かなよう・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・アカデミーによって日本最高の芸術と云われる竹内栖鳳の五匹の蛙が五千円というような絵や「新日本文化の会」で中河与一氏、保田与重郎氏などによってロマンティック狂信的に讚えられる万葉精神と、私たち一般人の日々の経済力、合理性との間に、調和し難い裂・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
・・・表門は側者頭竹内数馬長政が指揮役をして、それに小頭添島九兵衛、同じく野村庄兵衛がしたがっている。数馬は千百五十石で鉄砲組三十挺の頭である。譜第の乙名島徳右衛門が供をする。添島、野村は当時百石のものである。裏門の指揮役は知行五百石の側者頭高見・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・桜川由次郎、鳥羽屋小三次、十寸見和十、乾坤坊良斎、岩窪北渓、尾の丸小兼、竹内、三竺、喜斎等がその主なるものである。由次郎は後に吉原に遷って二代目善孝と云った。和十は河東節の太夫、良斎は落語家、北渓は狩野家から出て北斎門に入った浮世絵師、竹内・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫