たけもとぎだゆう【竹本義太夫】
(初世)[1651〜1714]浄瑠璃の太夫。義太夫節の始祖。大坂の人。本名、五郎兵衛。初め清水 (きよみず) 理兵衛に播磨 (はりま) 節を学んで清水理太夫と名のったが、貞享元年(1684)大坂に竹本座を開設して竹本義太夫を名のり、元禄11年(1698)ごろに受領して竹本筑後掾 (ちくごのじょう) 藤原博教と称した。近松門左衛門を作者に迎えて操り芝居を興行し、人形浄瑠璃を大成。 (2世)[1691〜1744]大坂の人。初世義太夫に師事。近松晩年の世話物などを初演。竹本政太夫を名のったが、享保19年(1734)2世義太夫を襲名。翌年、竹本上総少掾 (かずさのしょうじょう) を受領、のち竹本播磨少掾を再受領。
たけもとこしじだゆう【竹本越路太夫】
義太夫節の太夫。 (2世)竹本摂津大掾 (せっつだいじょう) の前名。 (3世)[1865〜1924]大坂の生まれ。2世の門弟。大正4年(1915)文楽座の櫓下 (やぐらした) となった。大正期の代表的太夫。
たけもとざ【竹本座】
人形浄瑠璃の劇場。貞享元年(1684)初世竹本義太夫が大坂道頓堀に創設。近松門左衛門を座付き作者とし、東の豊竹座と人形浄瑠璃全盛期の興行を二分した。明和4年(1767)廃座。西の芝居。