・・・ と粗い皺のできた、短い、しかし形のいい指先で数字を指し示した。「はいそのとおりで……」「そうですな。ええ百二十七町四段二畝歩也です。ところがこれっぱかりの地面をあなたがこの山の中にお持ちになっていたところで万事に不便でもあろう・・・ 有島武郎 「親子」
・・・……淡い膏も、白粉も、娘の匂いそのままで、膚ざわりのただ粗い、岩に脱いだ白足袋の裡に潜って、熟と覗いていたでしゅが。一波上るわ、足許へ。あれと裳を、脛がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 誰れにでもああだろうと思うと、今さらのようにあの粗い肌が連想され、僕自身の身の毛もよだつと同時に、自分の心がすでに毛深い畜生になっているので、その鋭い鼻がまた別な畜生の尻を嗅いでいたような気がした。 一三 田島・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・それと引違えて徐に現れたのは、紫の糸のたくさんあるごく粗い縞の銘仙の着物に紅気のかなりある唐縮緬の帯を締めた、源三と同年か一つも上であろうかという可愛らしい小娘である。 源三はすたすたと歩いていたが、ちょうどこの時虫が知らせでもしたよう・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・右手は岩山であって、すぐ左手には粗い胡麻石が殆ど垂直にそそり立っているのだ。そのあいだに、いま私の歩いている此の道が、六尺ほどの幅で、坦々とつづいている。 道のつきるところまで歩こう。言うすべもない混乱と疲労から、なにものも恐れぬ勇気を・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・竹藪を切り拓いた畑に、小さい秋茄子を見ながら、婆さんは例によってめの粗い縫物をしていた。沢や婆の丸い背を見つけると、彼女は、「おう、婆やでないかい」と云いながら、眼鏡をはずした。眼鏡は、鼻に当るところに真綿が巻きつけてある。五つ年下・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・刻み目の粗い田舎の顔の上へ、車窓をとび過る若葉照りが初夏らしく映った。〔一九二七年八月〕 宮本百合子 「北へ行く」
・・・右の手は、重い腹をすべって垂れ下っている粗いスカートを掴むように握っている。「医者のもとで」という題のこのスケッチには不思議に心に迫る力がこもっている。名もない、一人の貧しい、身重の女が全身から滲み出しているものは、生活に苦しんでいる人・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・その傍に、小さな小屋を立ててすんで居る鯉屋の裏には、鯉にやるさなぎのほしたのから、短かい陽炎が立ち、その周囲の湿地には、粗い苔が生えて、群れた蠅の子が、目にもとまらない程小さい体で、敏捷に彼方此方とび廻って居る。 △静かに、かなり念・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・ 机によって、彼が、カーキの粗い素朴なシャーツの広い肩を丸めながら物をよんで居るのを見る心持、其は私が且つて弟の後姿のいつの間にか青年に成って居るのを発見したときの心持通りである。 レークジョージの机の上で、かげろうが脱皮し・・・ 宮本百合子 「無題(二)」
出典:青空文庫