・・・ 何処となく荒涼とした粗野な自由な感じ、それは生面の人を威脅するものではあるかも知れないけれども、住み慣れたものには捨て難い蠱惑だ。あすこに住まっていると自分というものがはっきりして来るかに思われる。艱難に対しての或る勇気が生れ出て来る・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいう所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。 しばらくは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるはなおおかしい様に・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 粗野で、そそっかしい風は、いつやむと見えぬまでに吹いて、吹いて吹き募りました。木の芽は、もはや目をまわして、いまにも倒れそうになったのであります。 このとき、太陽は、見るに見かねて、風をしかりました。「なんで、そんなに小さい木・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・それらには野趣があるし、又粗野な、時代に煩わされない本能や感情が現われているからそれでいいけれど、所謂その時代の上品な詩歌や、芸術というものは、今から見ると、別に深い生活に対する批評や考案があったものとも思われないものが多い。それは詩歌のみ・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・恋愛を単に生物学的に考えたがることほど粗野なことはない。知性の進歩はその方角にあるのではない。恋愛を性慾的に考えるのに何の骨が折れるか。それは誰でも、いつでもできる平凡事にすぎない。今日の文化の段階にまで達したる人間性の精神的要素と、ならび・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・日蓮の折伏はいかに猛烈なときでも、粗野ではなかったに相違ないことは充分に想像し得るのである。やさしき心情と、礼儀とを持って、しかも彼の如く猛烈に真理のために闘わねばならない。そのことたる、ひとえに心境の純潔にして疾ましからざると、真理への忠・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・その天性は婦人に比べれば粗野だ。それは自然からそう造られているのである。それは戦ったり、創造したりする役目のためなのだ。しかしよくしたもので、男性は女性を圧迫するように見えても、だんだんと女性を尊敬するようになり、そのいうことをきくようにな・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・られて、十年ほど前にお母さんが死んで、それからは厳父は、何事も大隅君の気のままにさせていた様子で、謂わば、おっとりと育てられて来た人であって、大学時代にも、天鵞絨の襟の外套などを着て、その物腰も決して粗野ではなかったが、どうも、学生間の評判・・・ 太宰治 「佳日」
・・・すべき、われ幼少の頃より茶道を好み、実父孫左衛門殿より手ほどきを受け、この道を伝授せらるる事数年に及び申候えども、悲しい哉、わが性鈍にしてその真趣を究る能わず、しかのみならず、わが一挙手一投足はなはだ粗野にして見苦しく、われも実父も共に呆れ・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・しかし不思議なものでこの粗野な玉の食い物に対する趣味はいつとなしに向上して行って、同時にあのあまりに見苦しいほどに強かった食欲もだんだん尋常になって行った。挙動もいくらかは鷹揚らしいところができてきたが、それでも生まれついた無骨さはそう容易・・・ 寺田寅彦 「子猫」
出典:青空文庫