・・・彫刻師はその夜の中に、人知れず、暗ながら、心の光に縁側を忍んで、裏の垣根を越して、庭を出るその後姿を、立花がやがて物語った現の境の幻の道を行くがごとくに感じて、夫人は粛然として見送りながら、遥に美術家の前程を祝した、誰も知らない。 ただ・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ うろつく者には、傍目も触らず、粛然として廊下を長く打って、通って、広い講堂が、青白く映って開く、そこへ堂々と入ったのです。「休め――」 ……と声する。 私は雪籠りの許を受けようとして、たどたどと近づきましたが、扉のしまった・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 妾に跟いてこっちへと、宣示すがごとく大様に申して、粛然と立って導きますから、詮方なしに跟いて行く。土間が冷く踵に障ったと申しますると、早や小宮山の顔色蒼然! 話に聴いた、青色のその燈火、その台、その荒筵、その四辺の物の気勢。 ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 読んで見て、如何にも気持がよく出て居て、巧みに描き出してあると思う作品は沢山あるけれども、粛然として覚えず襟を正し、寂しみを感じさせるような作品は極めて少ないように思う。 併し古い例であるが、故独歩の作品中のある物の如きは、読んで・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・一座粛然たる中に二郎が声のみぞ響きたる。かれが蒼白き顔は電燈の光を受けていよいよ蒼白く貴嬢がかつて仰ぎ見て星とも愛でし眼よりは怪しき光を放てり。ただいずこともなく誇れる鷹の俤、眉宇の間に動き、一搏して南の空遠く飛ばんとするかれが離別の詞を人・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・』 二人は連れだって中二階の前まで来たが、母屋では浪花節の二切りめで、大夫の声がするばかり、みんな耳を澄ましていると見えて粛然としている。『幸ちゃんに今帰ったからッて、そ言っておくれ、』と時田は庭の耳門へ入った、お梅はばたばたと母屋・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ト明朗、粛然ノ謝辞ノミ。シカルニ、此ノ頃ノ君、タイヘン失礼ナ小説カイテ居ラレル。家郷追放、吹雪ノ中、妻ト子トワレ、三人ヒシト抱キ合イ、行ク手サダマラズ、ヨロヨロ彷徨、衆人蔑視ノ的タル、誠実、小心、含羞ノ徒、オノレノ百ノ美シサ、一モ言イ得ズ、・・・ 太宰治 「創生記」
出典:青空文庫