・・・民主日本の航路から大衆の精悍さを虚脱させるために空腹時のエロティシズムは特効がある。文学における大衆性の本質は、決して大衆の一部にある卑俗性ではない。幾千万の私たち大衆が、つつましく名もない生涯を賭しながら、自身の卑俗さともたたかいながら、・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・の原稿はテーブルの上でこの精悍に丸い人の丸い指先でめくられた。やがて瀧田さんがこれからずっと文学をやって行くつもりですかと訊いた。そりゃ勿論そうだわ。と私は女学生の言葉でふっきるように云った。当時私は其以外に自身のはりつめた感情をあらわす云・・・ 宮本百合子 「その頃」
・・・又そろって頭をあげて、黙ったまま眼にちからを入れた表情で、カーキ色の国防服めいたものを着ている、はげ上った、精悍な風貌を見つめた。「わたしは、外国へやられたり、牢屋へ入ったりばかりしていて、これまでに結婚生活をしたのは、たった七ヵ月ぐら・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・石田はこれに極めた。比那古のもので、春というのだそうだ。男のような肥後詞を遣って、動作も活溌である。肌に琥珀色の沢があって、筋肉が締まっている。石田は精悍な奴だと思った。 しかし困る事には、いつも茶の竪縞の単物を着ているが、膝の処には二・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・が、さて捨てるとなると、その濡れたように生き生きとした花粉の精悍な色のために、捨て処がなくなった。彼は小猫を下げるように百合の花束をさげたまま、うろうろ廊下を廻って空虚の看護婦部屋を覗いてみた。壁に挾まれた柩のような部屋の中にはしどけた帯や・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・三年前の大患以後、病気つづきで、この年にも『行人』の執筆を一時中絶したほどであったが、一向病人らしくなく、むしろ精悍な体つきに見えた。どこにもすきのない感じであった。漱石の旧友が訪ねて行って、同じようにして迎えられたとき、「いやに威張ってい・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫