・・・ 子規は死ぬ時に糸瓜の句を咏んで死んだ男である。だから世人は子規の忌日を糸瓜忌と称え、子規自身の事を糸瓜仏となづけて居る。余が十余年前子規と共に俳句を作った時に 長けれど何の糸瓜とさがりけりという句をふらふらと得た事がある。糸・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀が三枚ばかり載せてあって、その東側から登りかけて居る糸瓜は十本ほどのやつが皆瘠せてしもうて、まだ棚の上までは得取りつかずに居る。花も二、三輪しか咲いていない。正面には女郎花が一番高く咲いて、鶏頭はそ・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・「勘忍も糸瓜もあるかえ。南へ行きやがれ南へ。」「もうお前、へたばるが。」「立てったら、立ちさらせ。」 安次は蹲んだまま怒った片肩をなお張り上げて、戸口までずるずる引き摺られた。「そんなことせんと、ここで休ましといてやらえ・・・ 横光利一 「南北」
・・・首をさし込むために洋服掛けの扁平な肩のようなざっとした框が作ってあって、その端に糸瓜が張ってある。首の棒を握る人形使いの左手がそれをささえるのである。その框から紐が四本出ていて、その二本が腕に結びつけられ、他の二本が脚に結びつけられている。・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫