・・・よし、よし、それなら約束通り、一思いに命をとってやるぞ」 婆さんはナイフを振り上げました。もう一分間遅れても、妙子の命はなくなります。遠藤は咄嗟に身を起すと、錠のかかった入口の戸を無理無体に明けようとしました。が、戸は容易に破れません。・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・製線所では割合に斤目をよく買ってくれたばかりでなく、他の地方が不作なために結実がなかったので、亜麻種を非常な高値で引取る約束をしてくれた。仁右衛門の懐の中には手取り百円の金が暖くしまわれた。彼れは畑にまだしこたま残っている亜麻の事を考えた。・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・見えつつ、面白そうな花見がえりが、ぞろぞろ橋を渡る跫音が、約束通り、とととと、どど、ごろごろと、且つ乱れてそこへ響く。……幽に人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる。…… ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・二人は互いに手をとって涙の糸をより合わせ、これからさき神の恵みに救われるような事があったらば、互いに持った涙の繩を結び合わせようと約束した。 この事あった翌々日、おとよさんは里へ帰ってしもうた。そうしてついに隣へ帰って来なかった。省作も・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・今度だッてもこの子の代りを約束しに来たんですよ、それでなければ、どうして、このせちがらい世の中で、ぼんやり出て来られますものですか?」「代りなど拵えてやらないがいいや、あんな面白くもない家に」と、吉弥は起きあがった。「それが、ねえ、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・虚実は知らぬが、「十ウで神童、ハタチで才子、二十以上はタダの人というお約束通り、森の子も行末はタダの人サ、」と郷人の蔭口するのを洩れ聞いて発憤して益々力学したという説がある。左に右く天禀の才能に加えて力学衆に超え、早くから頭角を出した。万延・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 聖書は来世の希望と恐怖とを背景として読まなければ了解らない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係わる約束である、聖書は約束附きの奨励である、・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ 翌朝約束の停車場で、汽車から出て来たのは、二人の女の外には、百姓二人だけであった。停車場は寂しく、平地に立てられている。定木で引いた線のような軌道がずっと遠くまで光って走っていて、その先は地平線のあたりで、一つになって見える。左の方の・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・と、お約束をしたのです。すると、そのとき、先生は年子の手を堅くお握りなさいました。「たとえ、遠いたって、ここから二筋の線路が私の町までつづいているのよ。汽車にさえ乗れば、ひとりでにつれていってくれるのですもの。」 そうおっしゃって、・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・俺あ何もお前と夫婦約束をしたわけでもねえし、ただ何だ、お前は食わせる人がいねえで困ってるし、俺は独者だし、の、それだけの事で、ほかにゃ綾も何にもありゃしねえんだから、お前も旅の者らしくさっぱりしてくんねえな。俺あどこまでも好自由な独者で渡り・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫