・・・喜三郎はとうとう堪え兼ねて、一応医者の診脈を請うべく、ようやく病人を納得させた。そこで取りあえず旅籠の主人に、かかりつけの医者を迎えて貰った。主人はすぐに人を走らせて、近くに技を売っている、松木蘭袋と云う医者を呼びにやった。 蘭袋は向井・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ ともっともな事を親切に言ってくれたので、燕もとうとう納得して残りおしさはやまやまですけれども見かえり見かえり南を向いて心細いひとり旅をする事になりました。 秋の空は高く晴れて西からふく風がひやひやと膚身にこたえます。今日はある百姓・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・た生活をしていることを発見した者は、たといどれほど自分が拠ってもって生活した生活の利点に沐浴しているとしても、新しい文化の建立に対する指導者、教育者をもってみずから任ずべきではなく、自分の思想的立場を納得して、謹んでその立場にあることをもっ・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・ 勿論、別人とは納得しながら、うっかり口に出そうな挨拶を、唇で噛留めて、心着くと、いつの間にか、足もやや近づいて、帽子に手を掛けていた極の悪さに、背を向けて立直ると、雲低く、下谷、神田の屋根一面、雨も霞も漲って濁った裡に、神田明神の森が・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 紫玉は、はじめて納得したらしく、瞳をそらす時、髷に手を遣って、釵に指を触れた。――指を触れた釵は鸚鵡である。「これが呼んだのかしら。」 と微酔の目元を花やかに莞爾すると、「あら、お嬢様。」「可厭ですよ。」 と仰山に・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・「それはね、ですが、納得ずくです。すっかり身支度をして、客は二階から下りて来て――長火鉢の前へ起きて出た、うちの母の前へ、きちんと膝に手をついて、―― 分外なお金子に添えて、立派な名刺を――これは極秘に、と云ってお出しなすったそ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・喜兵衛は納得して幸手へ行き、若後家の入夫となって先夫の子を守育て、傾き掛った身代を首尾よく盛返した。その家は今でも連綿として栄え、初期の議会に埼玉から多額納税者として貴族院議員に撰出された野口氏で、喜兵衛の位牌は今でもこの野口家に祀られてい・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ * * * 飛び出して、その足ですぐ霊岸島の下田屋へ駈けつけたお光は、その晩否応なしに金之助を納得させて、お仙と仮盃だけでも急に揚げさせることにした。・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・旧紙幣の通用するうちに、式をあげた方がいいだろうと説き伏せると、彼も漸く納得して、二月の末日、やっと式ということになった。 仲人の私は花嫁側と一緒に式場で待っていたが、約束の時間が二時間たっても、彼は顔を見せない。 私はしびれを切ら・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・もみんな虚構だと、くどくど説明したが、その大学教授は納得しないのである。私は業を煮やして、あの小説は嘘を書いただけでなく、どこまで小説の中で嘘がつけるかという、嘘の可能性を試してみた小説だ、嘘は小説の本能なのだ、人間には性慾食慾その他の本能・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫