・・・少し離れた崖の下に一株の大きな野ばらがあって純白な花が咲き乱れている。自分は近寄って強いかおりをかいで小さい枝を折り取った。人のけはいがするのでふと見ると、今までちっとも気がつかなかったが、茂みの陰に柴刈りの女が一人休んでいた。・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・炉から引き出された灰の中からはかない遺骨をてんでに拾いあつめては純白の陶器の壺に移した。並みはずれに大きな頭蓋骨の中にはまだ燃え切らない脳髄が漆黒なアスファルトのような色をして縮み上がっていた。 N教授は長い竹箸でその一片をつまみ上げ「・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・野生の野菊の純白な花、紫のイリス、祖母と二人、早い夕食の膳に向っていると、六月の自然が魂までとけて流れ込んで来る。私はうれしいような悲しいような――いわばセンチメンタルな心持になる。祖母は八十四だ。女中はたった十六の田舎の小娘だ。たれに向っ・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・極めて貴族的な純白のコリーが、独特にすらりと長い顔、その胴つき、しなやかな前脚の線をいっぱいにふみかけ、大きい塵芥箱のふたをひっくりかえして、その中を漁っているのであった。人気ない樹かげと長い塀との間の朝の地べたから巨大な白い髄が抽け出たよ・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・午後五時いまだ淡雪の消えかねた砂丘の此方部屋を借りる私の窓辺には錯綜する夜と昼との影の裡に伊太利亜焼の花壺タランテラを打つ古代女神模様の上に伝説のナーシサスは純白の花弁を西風にそよがせほのかに わが幻想を・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・頁の右肩に英語で肩書や住所などの印刷された、純白で透し模様のあるパリパリした薄い紙はどんなに私を誘惑しただろう。どうか使って見たい。一度、あの紙で手紙を書いて見たい。私は、到頭その紙をそろりと引出し、一大事のような亢奮を覚え乍ら、それで手紙・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・ 私の髪は聖者の様に純白に光り目は澄んで居る。 手には小笛を握って居る。 「偉大なる汝大火輪 笑いつつ嘲笑いつつ我に黙せよと汝は叫ぶ 黙さんか我、――我は黙さんか―― 偉大なる大火輪は叫ぶ 我に黙せよと、――・・・ 宮本百合子 「小鳥の如き我は」
・・・ さかんな拍手に迎えられて演壇へ出てきたのは二十二三の緑色ジャケツと純白なカラーのコムソモールカだ。が、然しこれは又なんと高速度演説! ちらりちらり上眼で聴衆を見ながら一分間息もつかぬ女声の速射砲。農婦と工場労働婦人の結合のため、我々コ・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・が、又このよき場所であるが故に、一層俗悪に見えるその黄金が、何と云う幻滅を感じさせますでしょう。純白な面に灼熱した炬火を捧げて、漂々たる河面から湧き上った自由の女神像こそ、その心持につり合って居りますでしょう。 それだのに、何故、私たち・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・今度は白蓮の群落であったが、その白蓮は文字通り純白の蓮の花で、紅の色は全然かかっていない。そういう白蓮に取り巻かれてみると、これまで白蓮という言葉から受けていた感じとはまるで違った感じが迫って来た。それは清浄な感じを与えるのではなく、むしろ・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫