・・・そして、かゝる情操の素因をつくるものこそ、実に文芸の使命であり、人格的教育のたまものと考えています。殊に、文芸の必要なるべきは、少年期の間であって、すでに成人に達すれば、娯楽として文芸を求むるにすぎません。しからざれば、趣味としてにとゞまり・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・なんらかの素因で等しく世に敗れ、廃人よ、背徳者よとゆび指され、そうしてかれより貧しい人たちは、水の低きにつくが如く、大挙してかれの身のまわりにへばりついた。そうして、この男に、男爵という軽蔑を含めた愛称を与えて、この男の住家をかれらの唯一の・・・ 太宰治 「花燭」
・・・この疑問の解答が一般に知られていないということが、学位をめぐるあらゆる不都合な事件の発生の胚芽となり、従っては一国の学術の健全な発達を妨害する一つの素因ともなり得るかと思われる。それ故にこの疑問を解くことは我国の学問の正常な発達のために緊要・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ 島へ渡ったのは、たぶん大阪高知間飛行の話の時に思い浮かべた瀬戸内海の島が素因をなしているかと思われる。 前日の昼食時にA君が、自分の昔の同窓の一人で現に生存しているある人の事についてほんのちょっとばかり話をした。その瞬間に自分の頭・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・学者と素人との意思の疎通せざる第一の素因は既にここに胚胎す。学者は科学を成立さする必要上、自然界に或る秩序方則の存在を予想す。従ってある現象を定むる因子中より第一にいわゆる偶発的突発的なるものを分離して考うれども、世人はこの区別に慣れず。一・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ この地質地形の複雑さの素因をなした過去の地質時代における地殻の活動は、現代においてもそのかすかな余響を伝えている。すなわち地震ならびに火山の現象である。 わずかに地震計に感じるくらいの地震ならば日本のどこかに一つ二つ起こらない日は・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・はじめは仇打ち事件の素因への道行であり、次に第一のクライマックスの殺し場がある。その次に復讐への径路があって第二の頂点仇打ちの場になる。そうして結局の大団円なりエピローグが来る。そういう形式がかなりはっきりしているのが目につく。 映画の・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・それがこの夢の第二の素因らしく思われる。次に助手の出てくるのも心当りがある。この友人には理工科方面の友達は少なくて主に自分からそうした方面の話を聞くのであるが、その私がこの頃は自身ではあまり器械いじりはしないで主に助手の手を借りて色々の仕事・・・ 寺田寅彦 「夢判断」
・・・しかし同時にその弱さの素因がいくらか科学的につきとめられて従ってその療法の見当がつくとすれば、それはまたこの上もない心強い喜ばしい事である。 実際自分のようなものでも、健康のぐあいがよくて精力の満ちているような場合に、このような変則な笑・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・したがって善悪両面ともに感激性の素因に乏しいという点から見て、そこが芸術的でないと難を打つ事はできる。その代りその書きぶりや事件の取扱方に至っては本来がただありのままの姿を淡泊に写すのであるから厭味に陥る事は少ない。厭味とか厭味でないとかい・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫