・・・もしまた粟野さんも我々のように一介の語学者にほかならなかったとすれば、教師堀川保吉は語学的素養を示すことに威厳を保つことも出来たはずである。が、芸術に興味のない、語学的天才たる粟野さんの前にはどちらも通用するはずはない。すると保吉は厭でも応・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・しかしながら、私の生まれかつ育った境遇と、私の素養とは、それをさせないことを十分意識するがゆえに、私は、あえて越ゆべからざる埓を越えようは思わないのだ。私のこんな気持ちに対する反証として、よくロシアの啓蒙運動が例を引かれるようだ。ロシアの民・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・ その問題をまじめに考えるには、いろいろの意味から私の素養が足らなかった。のみならず、詩作その事に対する漠然たる空虚の感が、私が心をその一処に集注することを妨げた。もっとも、そのころ私の考えていた「詩」と、現在考えている「詩」とは非常に違っ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・人間の教養として文学の趣味はあっても倫理学の素養のないということは不具であって、それはその人の美の感覚に比し、善の感覚が鈍いことの証左となり、その人の人間としての素質のある低さと、頽廃への傾向を示すものである。美の感覚強くして善の関心鈍きと・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・それで彼の仕事を正当に理解し、彼のえらさを如実に估価するには、一通りの数学的素養のある人でもちょっと骨が折れる。 到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的簡単明瞭な事の方が却って分りにくいというおかしな結論になる訳であるが、・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・彼自身個人としては公生活の組織に関してかなりな興味をもっているが、学校で政治的素養を作る事は面白くないと云っている。その理由は第一こういう教育は官辺の影響のために本質的に出来にくいし、また頭の成熟しないものが政治上の事にたずさわるのは一体早・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作者に多少でも俳諧連句の素養があらば、こういうところでいくらでも効果的な材料の使い方があるであろうと思われるのである。 早打ちの使者の道中を見せる一連の編集でも連句的手法を借りて来ればどんなにで・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・昔の小学校の先生などとちがってあまりに立派な教育者としての素養があり過ぎるために、またその上に文部省の監督があまりに行き届き過ぎるために教場における授業が窮屈で煩瑣な鋳型にはいってしまって、その結果は自由に広大であるべきものを極端に制限して・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・ともかくもだれのまねでもない、そうしてはなはだ合目的なこの一つの所行を、自分の頭で考えついて、そうしてあらゆる困難と戦ってそれをおしまいまで遂行することのできる人間が、もし充分な素養と資料とを与えられて、そうして自由にある専門の科学研究に従・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・今の科学的な利器は単に独創的な素人の思いつきや苦心だけで完成するにはあまりに多くの専門的知識の素養を必要とする、という明白な事実が日本のジャーナリストに一般には認識されていないのである。 こういう状況であるから多くのアカデミックなまじめ・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
出典:青空文庫