・・・程ケ谷の紡績工場から故郷のその村に向って汽車にのっているヨシノとサダ子につれられて、二人の娘の気質の相異を理解しながら、読者は次第に北国へ向い、やがて峯子に出会ってA村に入ると、そこには、貧農の息子でのちに急進的に行動する清司、動揺する地方・・・ 宮本百合子 「作家への課題」
・・・どこの紡績工場でも、大体寄宿舎制で、そこに国民学校六年を終っただけの十四五から二十歳前の娘が、何万人と働かせられている。喰べるものは会社で賄って、働いた給料は、すべての紡績工場で、ほとんど全額を娘さんにわたすところはない。その何パーセントし・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・婦人作家が日本人民としての自分が紡績工場に働いている娘たちの境遇にどんなにちかいものであるかということを知ったときにこそ、婦人作家はファシズムとはなんであるか、侵略戦争とはなんであるか、一つの国の人民の幸福を他の一国の利益のためにふみにじる・・・ 宮本百合子 「戦争と婦人作家」
六月五日の読売新聞に「女工哀史の寄宿舎通勤制に」という記事が出ていた。 経済再建のトップに立つ日本の紡績界の半封建のままの少女労働の搾取に対して、厚生省が、一、女工寄宿舎制度の撤廃、二、遠隔地からの女工員募集禁止、三、・・・ 宮本百合子 「その檻をひらけ」
・・・私が小学校の六年だったとき、一年したの級に村上さんという生徒がいて、紡績の絣の着物と羽織に海老茶の袴をはいて、級で一番背が高かったばかりでなく、成績が大変いいのと、成績がいいのに、その組にいる武さんと云った金持の子が何かというといじめるとい・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・ 森がだんだん開けて来る頃から、そろそろ冬籠りの季節になって来て、雪などに降りこめられた禰宜様宮田が町から請負って来た粗末な笊だの蚕籠だのを編んだりするようになると、例年の通り町から、紡績工女募集の勧誘員が、部落の家々を戸別に訪問しはじ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・一九一七年の三月八日には、そのころペトログラードとよばれていたいまのレーニングラードの婦人紡績労働者たちが「パンを与えよ。戦地から夫をかえせ」とデモを行って、ロシアのプロレタリア革命への口火となった二月の革命ののろしをあげた。 第二・・・ 宮本百合子 「婦人デーとひな祭」
・・・という紡績工場を見学に行って、元気な女工さんたちとしゃべっていたら、二十ばかりの一人の女工さんが、鉛筆と手帖をもって大いそぎでやって来て、「私はここにいる婦人通信員です。日本の女のひとが工場へ来たのは珍らしいから、それを書きたいと思います」・・・ 宮本百合子 「婦人読者よ通信員になれ」
・・・の三篇が一貫して長篇に書かれていたならば、私達は、紡績産業組合における日本では代表的な労働貴族としての女工のタイプと大衆としての女工の階級性とを、もっとはっきりと広い社会的背景の前に理解することが出来たであろう。 私は、何故、これら二人・・・ 宮本百合子 「二つの場合」
・・・ 紡績工場に働いている若い婦人労働者の中に、若しかしたら、面白いプロレタリア詩をつくる婦人はいないだろうか、とは考慮されていない。そこまで大衆の中に沈まないでも、例えば『ナップ』その他にこの頃一田アキという名で望みのある詩を書く婦人が現・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫