・・・ 彼等はある電車の終点から細い横町を曲って行った。夫はかなり酔っているらしかった。たね子は夫の足もとに気をつけながらはしゃぎ気味に何かと口を利いたりした。そのうちに彼等は電燈の明るい「食堂」の前へ通りかかった。そこにはシャツ一枚の男が一・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・帰りに矢来から江戸川の終点へ出ると、明き地にアセチリン瓦斯をともして、催眠術の本を売っている男がある。そいつが中々たくれいふうはつしているから、面白がって前の方へ出て聞いていると、あなたを一つかけて上げましょうと云われたので、そうそう退却し・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。 或夕方、――それは・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・ 僕等は終点で電車を下り、注連飾りの店など出来た町を雑司ヶ谷の墓地へ歩いて行った。 大銀杏の葉の落ち尽した墓地は不相変きょうもひっそりしていた。幅の広い中央の砂利道にも墓参りの人さえ見えなかった。僕はK君の先に立ったまま、右側の小み・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・ 揺り動かされて、眼がさめると、梅田の終点だった。 原稿を送って再び阪急の構内へ戻って来ると、急に人影はまばらだった。さっきいた夕刊売りももういない。新吉は地下鉄の構内なら夕刊を売っているかも知れないと思い、階段を降りて行った。・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ 難波へ出るには、岸ノ里で高野線を本線に乗りかえるのだが、乗りかえが面倒なので、汐見橋の終点まで乗り、市電で戎橋まで行った。 戎橋の停留所から難波までの通りは、両側に闇商人が並び、屋号に馴染みのないバラックの飲食店が建ち、いつの間に・・・ 織田作之助 「神経」
・・・ どこに住んでいるのかなどと、根掘りそこのお内儀にきくと、なんでもここから一里半、市内電車の終点から未だ五町もある遠方の人で、ゆで玉子屋の二階に奥さんと二人で住んでいるらしい。その奥さんというのが病気だから、その日その日に追われて、昼間・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・先客があったり、後から誰か来合せたりすると彼は往きにもまして一層滅入った、一層圧倒された惨めな気持にされて帰らねばならぬのだ―― 彼は歯のすっかりすり減った日和を履いて、終点で電車を下りて、午下りの暑い盛りをだら/\汗を流しながら、Kの・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 満員の電車から終点へ下された人びとは皆働人の装いで、労働者が多かった。夕刊売りや鯉売りが暗い火を点している省線の陸橋を通り、反射燈の強い光のなかを黙々と坂を下りてゆく。どの肩もどの肩もがっしり何かを背負っているようだ。行一はいつもそう・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ Mも終点であったがこのEも終点であった。Eから乗るとTで乗換えをする。そのTへゆくまでがMからだとEからの二倍も三倍もの時間がかかるのであった。電車はEとTとの間を単線で往復している。閑な線で、発車するまでの間を、車掌がその辺の子供と・・・ 梶井基次郎 「路上」
出典:青空文庫