・・・に載った斎藤さんの「赤彦終焉記」を読んだ。斎藤さんは島木さんの末期を大往生だったと言っている。しかし当時も病気だった僕には少からず愴然の感を与えた。この感銘の残っていたからであろう。僕は明けがたの夢の中に島木さんの葬式に参列し、大勢の人人と・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・ああよくできたこれでおれはいつ死んでもえいと、父は口によろこばしき言をいったものの、しおしおとした父の姿にはもはや死の影を宿し、人生の終焉老いの悲惨ということをつつみ得なかった。そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・十二 終焉及び内外人の椿岳蒐集熱 椿岳は余り旅行しなかった。晩年大河内子爵のお伴をして俗に柘植黙で通ってる千家の茶人と、同気相求める三人の変物揃いで東海道を膝栗毛の気散じな旅をした。天龍まで来ると川留で、半分落ちた橋の上で座・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一代の奇才は死の瞬間までも世間を茶にする用意を失わなかったが、一人の友人の見舞うものもない終焉は極めて淋しかった。それほど病気が重くなってるとは知らなかったので、最一度尋ねるつもりでツイそれなりに最後の皮肉を訊かずにしまったのを今なお残惜し・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ただ余の出立の朝、君は篋底を探りて一束の草稿を持ち来りて、亡児の終焉記なればとて余に示された、かつ今度出版すべき文学史をば亡児の記念としたいとのこと、及び余にも何か書き添えてくれよということをも話された。君と余と相遇うて亡児の事を話さなかっ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・秋声が遂に亡くなったときいたとき、私たちは、自分たちの生涯の終りにも来る人一人の終焉ということを沁々感じたのであった。 藤村の文豪としての在りかたは、例えてみれば、栖鳳や大観が大家であるありかたとどこか共通したものがあるように思う。大観・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ 阿部彌一右衛門は、人間の性格的相剋を主従という封建の垣のうちに日夜まむきに犇めきとおして遂に、悲劇的終焉を迎えたが、佐橋は君主である家康が己に気を許さぬ本心を知ったとき、恐ろしく冷やかな判断で、そのように狭くやがては己が身の上に落ちか・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ジャングルの中にカタメテすてられた部隊から、一人はなれた人の飢餓と苦悩の運命の終焉が、カタマって餓死した人々の運命とその本質においてどうちがったろう? 最悪の運命の瞬間に、八千五百万の利用できる人々としてカタメられることを拒絶するために、カ・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・の主人公は時代が推移して明治が来るとともに没落せざるを得なかった宿場本陣の主、精神的には本居宣長の思想の破産によって悲劇的終焉を遂げざるを得なかった男である。作者藤村氏が、抒情的な粘着力をもって縷々切々と、この主人公とそれをめぐる一団の人々・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 非道な力は終焉に瀕している、それだからこそ国際的な民主主義者の生命を奪うようなことさえせざるを得なくなって来ていることを、尾崎秀実氏は明瞭に知っていた。家族の方々の今後の生活方針について細々と書かれている中に、金銭の価値の変化によせて・・・ 宮本百合子 「人民のために捧げられた生涯」
出典:青空文庫