・・・ 夫はタイを結びながら、鏡の中のたね子に返事をした。もっともそれは箪笥の上に立てた鏡に映っていた関係上、たね子よりもむしろたね子の眉に返事をした――のに近いものだった。「だって帝国ホテルでやるんでしょう?」「帝国ホテル――か?」・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・あの雨じみのある鼠色の壁によりかかって、結び髪の女が、すりきれた毛繻子の帯の間に手を入れながら、うつむいてバケツの水を見ている姿を想像したら、やはり小説めいた感じがした。 猿股を配ってしまった時、前田侯から大きな梅鉢の紋のある長持へ入れ・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ 女房は連りに心急いて、納戸に並んだ台所口に片膝つきつつ、飯櫃を引寄せて、及腰に手桶から水を結び、効々しゅう、嬰児を腕に抱いたまま、手許も上の空で覚束なく、三ツばかり握飯。 潮風で漆の乾びた、板昆布を折ったような、折敷にのせて、カタ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・その上へ、真白な形で、瑠璃色の透くのに薄い黄金の輪郭した、さげ結びの帯の見える、うしろ向きで、雲のような女の姿が、すっと立って、するすると月の前を歩行いて消えた。……織次は、かつ思いかつ歩行いて、丁どその辻へ来た。 四・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・二人は互いに手をとって涙の糸をより合わせ、これからさき神の恵みに救われるような事があったらば、互いに持った涙の繩を結び合わせようと約束した。 この事あった翌々日、おとよさんは里へ帰ってしもうた。そうしてついに隣へ帰って来なかった。省作も・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・省作が下手に羽織の紐を結べば、おとよは物も言わないで、その紐を結び直してやる。おとよは身のこなし、しとやかで品位がある。女中は感に堪えてか、お愛想か、「お羨ましいことねい」「アハヽヽヽヽ今日はそれでも、羨ましいなどといわれる身になっ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「出雲なる神や結びし淡島屋、伊勢八幡の恵み受けけり」という自祝の狂歌は縁組の径路を証明しておる。媒合わされた娘は先代の笑名と神楽坂路考のおらいとの間に生れた総領のおくみであって、二番目の娘は分家させて質屋を営ませ、その養子婿に淡島屋嘉兵衛と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・唇をきっと結び、美しい眼をじっと見据えたその顔を見た途端、どきんとした。「ダイス」のマダムの妹だったのだ。妹は私に気づいたが、口は利かず固い表情のまま奥へはいった。やがて羽織を着た女が奥から出て来て、「あら」と立ちすくんだ。窶れているが、さ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・行一はいつか競漕に結びつけてそれを聞くのに慣れてしまった。 四「あの、電車の切符を置いてってくださいな」靴の紐を結び終わった夫に帽子を渡しながら、信子は弱よわしい声を出した。「今日はまだどこへも出られないよ。こち・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・と帯締めの打紐を解きつ結びつ。 綱雄といえば旅行先から、帰りがけにここへ立ち寄ると言ってよこしたが、お前はさぞ嬉しかろうなとからかい出す善平、またそのようなことを、もう私は存じませぬ、と光代はくるりと背後を向いて娘らしく怒りぬ。 善・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫