・・・親子四人の為めに僅かの給料で毎日々々こき使われ、帰って晩酌でも一杯思う時は、半分小児の守りや。養子の身はつらいものや、なア。月末の払いが不足する時などは、借金をするんも胸くそ悪し、いッそ子供を抱いたまま、湖水へでも沈んでしまおか思うことがあ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・とりわけ毎日新聞社は最も逼迫して社員の給料が極めて少かった。妻子を抱えているものは勿論だが、独身者すらも糊口がし兼ねて社長の沼南に増給を哀願すると、「僕だって社からは十五円しか貰わないよ」というのが定った挨拶であった。増給は魯か、ドンナ苦し・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 妹の学資は随分の額だのに、洋裁学院でくれる給料はお話にならぬくらい尠く、夜間部の授業を受け持ってみても追っつかなかった。朝、昼、晩の三部教授の受持の時間をすっかり済ませて、古雑布のようにみすぼらしいアパートに戻って来ると、喜美子は古綿・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・この時はもう祖母も母も死んでしまい、私は叔母の家の厄介になりながら、村の小学校に出してもらって月五円の給料を受けていました。祖母の亡くなったのは十五の春、母はその秋に亡くなりましたから私は急に孤児になってしまい、ついに叔母の家に引き取られた・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 小学校を卒業するや、僕は県下の中学校に入ってしまい、しばらく故郷を離れたが正作は家政の都合でそういうわけにゆかず、周旋する人があって某銀行に出ることになり給料四円か五円かで某町まで二里の道程を朝夕往復することになった。 間もなく冬・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・はじめのうちは金が、──地方の慾ばり屋がどんどん送ってよこすので──豊富で給料も十八円ずつくれたが、そのうち十七円にさげられた。僕が出たあと、半年ほどして、山漢社長はつゞまりがつかなくなって事務所にも、バラックにも、火をつけて焼いてしまった・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・そして、給料も殆んど貰っていなかった。しかし、彼等には、やはり、話にきいた土匪や馬賊の惨虐さが頭にこびりついていた。劣勢の場合には尻をまくって逃げだすが、優勢だと、図に乗って徹底的な惨虐性を発揮してくる。そういう話が、たった八人の彼等を、お・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・腕のいゝ旋盤工だから、んでなかったら、どんどん日給もあがって、えゝ給料取りになっていたんだ。」――それは他の人もそッと持っていた気持だったので、室の中が急に、今迄とは変ったものになった。――「そればかりで無いんだ。この前警察から出てくると、・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・「ただ私の馬のかいばさえいただきませば、給料なぞは下さらなくともたくさんです。」と言いました。そして馬丁にやとってもらいました。 ウイリイはうまや頭からおそわって、ていねいに王さまのお馬の世話をしました。じぶんの馬も大事にしました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・お前の給料は、どこから出てるんだ。考えても見ろ。あたしたちの稼ぎの大半は、おかみに差し上げているんだ。おかみはその金をお前たちにやって、こうして料理屋で飲ませているんだ。馬鹿にするな。女だもの、子供だって出来るさ。いま乳呑児をかかえている女・・・ 太宰治 「貨幣」
出典:青空文庫