・・・「その代り向う二十年の間は、一文も御給金はやらないからね。」「はい。はい。承知いたしました。」 それから権助は二十年間、その医者の家に使われていました。水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。おまけに医者が外へ出る時は、薬・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・ただ彼の知っているのは月々の給金を貰う時に、この人の手を経ると云うことだけだった。もう一人は全然知らなかった。二人は麦酒の代りをする度に、「こら」とか「おい」とか云う言葉を使った。女中はそれでも厭な顔をせずに、両手にコップを持ちながら、まめ・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・「そのくらいなら……私が働く給金でして進ぜるだ。」「ほんとかい。」「それだがね、旦那さん。」「御覧、それ、すぐに変替だ。」「ううむ、ほんとうだ、が、こんな上段の室では遣切れねえだ。――裏座敷の四畳半か六畳で、ふしょうして・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生がいった言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 私は木綿の厚司に白い紐の前掛をつけさせられ、朝はお粥に香の物、昼はばんざいといって野菜の煮たものか蒟蒻の水臭いすまし汁、夜はまた香のものにお茶漬だった。給金はなくて、小遣いは一年に五十銭、一月五銭足らずでした。古参の丁稚でもそれと大差・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 毎年大晦日の晩、給金をもらってから運勢づきの暦を買いに出る。が、今夜は例年の暦屋も出ていない。雪は重く、降りやまなかった。窓を閉めて、おお、寒む。なんとなく諦めた顔になった。注連繩屋も蜜柑屋も出ていなかった。似顔絵描き、粘土彫刻屋は今・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・となるは自然の理なり俊雄は秋子に砂浴びせられたる一旦の拍子ぬけその砂肚に入ってたちまちやけの虫と化し前年より父が預かる株式会社に通い給金なり余禄なりなかなかの収入ありしもことごとくこのあたりの溝へ放棄り経綸と申すが多寡が糸扁いずれ天下は綱渡・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・毎月働いても十八円の給金にしかならないと言いたげなこの婆やは、見ず知らずの若者が私のところから持って行く一円、二円の金を見のがさなかった。 そういう私たちの家では、明日の米もないような日がこれまでなかったというまでで、そう余裕のある生活・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・月給六十五円、それと加俸五割で計九十七円五十銭の給金です。金というものの正体不明で相手に出来ないので、損ばかりしています。もう大分借金が出来ました。もう他人の悪口を云い、他人に同情する年でもありますまい、止めます。もう給仕君床に入りました。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・わずかなお給金の中から、二円でも三円でも毎月かかさず親元へ仕送りをつづけた。十八になって、向島の待合の下女をつとめ、そこの常客である新派の爺さん役者をだまそうとして、かえってだまされ、恥ずかしさのあまり、ナフタリンを食べて、死んだふりをして・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫